記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2019.06.17 名前

記念館にご入館なさるお客様に、受付で常設展の展示品解説リストをお渡ししております。
そのリストのはじめに、「池内岳彦(本名・池内義弘、後の伊丹十三)~」という一文があります。受付で、まずそれをご覧になったお客様から、「本名のほかに、岳彦という名前があったのですか......?」とご質問いただくことがあります。

そうなんです。伊丹さんの戸籍上の本名は池内義弘なのですが、通称は岳彦(タケヒコ)だったのです。

どういうことか、少しご説明させていただきます。
伊丹十三は、映画監督・脚本家の伊丹万作(本名・池内義豊)の長男として、1933年5月15日に生まれました。
池内家には、男子の名前に「義」の一字を入れるという代々の習わしがありました。
万作はその習わしを受け継ぐつもりはなく、息子を「岳彦」と命名しようとしていましたが、祖父の意向があり、戸籍上は「義弘」と名付けられました。
けれども、日常的には「岳彦」と呼ばれていた、ということなのです。

というわけで、記念館の常設展示室にある13のコーナーは、「一 池内岳彦」からはじまっています。

20190617_01.JPG常設展示室「一 池内岳彦」のコーナー


ところで、万作が書いた、こんな文章があります。

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「子供ノ誕生日ニ」   伊丹万作

岳彦 オメデトウ         
今日ハオマエノ誕生日ダネ
十年前ノ今日           
オマエガウマレタトキ
父ハ物置ニハイツテ       
郵便受ケヲツクツテイタ
ソノトキ父ハ嬉シサト       
心配ノアマリ
何ヲシテヨイカ          
自分ノスルコトガワカラナカツタノダヨ
スルトソノウチ          
突然オマエノ最初ノ声ガ
高ラカニ聞エテキタ
ソノ声ヲ父ハ一生忘レナイダロウ 

(後略)

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息子の10歳の誕生日に書いたもので、何度読んでも息子への深い愛情に心打たれるのですが、こちらも「岳彦」の呼びかけからはじまっていますね。
岳彦の呼び名は幼少期だけのものではなく、親しい間柄では、生涯にわたって使われていたのだそうです。

「子供ノ誕生日ニ」の文章は、岳彦さんの幼少期の写真とともに、記念館の併設小企画「伊丹万作の人と仕事」で紹介しております。ぜひ、記念館でご覧くださいませ。

20190617_02.JPG併設小企画「伊丹万作の人と仕事」
企画展示室の一角にあります

20190617_03.JPG「子供ノ誕生日ニ」の展示

スタッフ:淺野