記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2018.06.18 「アレ」のある記念館

『ぼくの伯父さん』(つるとはな)の発売から半年が経ちました。
記念館グッズショップでのご好評ぶりから、全国の書店やインターネットでもたくさん売れているだろうな、と想像しています。
一気に読んだ方、ちょっとずつ読んだ方、往年の伊丹エッセイファンも初めての方も、思い思いに"四半世紀ぶりの新刊"を味わってくださったのではないでしょうか。

bokuoji.jpg記念館HPのオンラインショップでも扱っております!

さて、これまでの伊丹十三の著書がそうであったように、この"新刊"もまた、お読みいただいてから記念館へお越しいただきますと、「エッセイに書かれていたアレがある!」というお楽しみがございます。

たとえば、手書きテキストと挿絵が一体になった、愉快なスタイルのエッセイ「スーツケース」の原稿原画。「急須」の挿絵の"モデル"の実物。「丼めし」は挿絵の原画も実物も展示しています。「傘」は、取り寄せ販売の見本をグッズショップにディスプレイしております。

これらのほかに、『ぼくの伯父さん』ではビジュアルが紹介されていないもので、記念館で「アレはこういうものだったのね!」と知っていただける、ぜひご覧いただきたい展示品があります。

所収の一篇「父、万作のかるた」というエッセイに、こんなことが書かれています。

――父がこのカルタを描いたのは昭和十八年ですから、まだ日本が戦争に勝っていた頃だと思います。年の暮れになって突然父がカルタを作ると宣言して製作にとりかかった。
(中略)このカルタで随分遊びましたね。私も妹も、このカルタに出てくる芭蕉の俳句を全部憶えております。勿論、それが父の狙いだったんでしょうがね。
 で、実を申しますと、それ以来三十年、私はこのカルタを見たことがなかった。ある人が父から貰い受けてずっと所有していたんです。それが、その人の好意で、二年ばかり前に突然私のところに返されてきた。
 これはびっくりしましたねえ。まず、その力量に圧倒されましたね、私は。そしてまた、その絵や字の裏に流れている、なんともいえぬ人間の好さ、高さですね、これはもう参りましたね。ああ、ここまで行ってる人だったか、という思いがありましたね。
 父がこれを作った時、四十四歳くらいだったわけですから、考えてみれば私はそろそろ同じ年齢に達しようとしているわけでしょう。こりゃ考えますねえ、だって、これを描けるようになるには、また別の一生を必要とするようなものですよ、このカルタは――

『ぼくの伯父さん』をお読みになって、「挿絵も写真図版もないけど、どんなカルタなのかしら」と思った方、いらっしゃいませんか?
このエッセイの初出は、いろはかるたを特集したムック本『別冊太陽』No.9(平凡社、1974年11月)。すべての絵札がグラビアページに掲載されていました。それで文中「このカルタ」と記されているのです。

theSUN_karuta.jpg

「このカルタ」は、伊丹十三が書いているように、子供たちのために伊丹万作が手作りしたのですが、少し補足させていただきますと、伊丹万作が「あるカルタを裏返して」手作りしたものでした。
元は、子供トナリグミカルタという市販の玩具で、「ツクレ ツヨイ ダイトウア」など、軍国主義教育を目的とした標語がいくつも見受けられます。こんなもので我が子が遊ぶなんて!と憂えた万作が、自ら選んだ芭蕉の俳句と、それに対応する絵をすべての札の裏面に描いた、というわけです。
不治の病(結核)で長く生きられそうにない、世の中は戦争一色、そういうときでも譲れないことがある......幼子への思い、芸術家としての反骨心から生み出されたカルタなんですね。

現在、カルタは記念館に収蔵されておりまして、併設小企画「伊丹万作の人と仕事」に
*暦に応じた季語の読み札・絵札(実物 / 季節ごとに8組)
*このカルタを使って伊丹十三が作った一六タルトのCMシリーズ
*すべての読み札・絵札の両面の複製
を展示しています。

karuta2018summer.jpg夏の句のカルタ8組。「さみだれを~」や
「しづかさや~」など、お馴染みの句もあります。

karuta_c.jpgこちらは複製の壁面展示。
上2段が万作手作りの芭蕉カルタ。
下2段が子供トナリグミカルタです。

「伊丹万作の人と仕事」は展示順路の最後のコーナーです。
展示室2部屋の小さな記念館ですが、あますところなく、じっくりとご鑑賞くださいませ。

学芸員:中野