記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2015.09.07 戦後70年

 だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。

「文化的無気力、無自覚、無反省、無責任――私のことかしら」とギクリとして、思わず正座しそうになる文章ですが、書かれたのは終戦翌年の1946年。伊丹十三の父・伊丹万作(1900-1946)が、当時の映画界における戦争責任者追及のあり方に疑問を持ったことから、雑誌『映画春秋』創刊8月号に発表した「戦争責任者の問題」の一節です。

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

原発事故から今年の戦後70年にかけて「現代にも通じる」「今の日本のことを言い当てているようだ」と取り上げられる機会が続きましたので、どこかで目にした方、聞いた方も多いことでしょう。
先日は、朝日新聞(大阪版夕刊、愛媛版等)で紹介していただきました。

 朝日新聞デジタル 「だまされる罪」鋭い批評(2015年7月25日)

  全20回の連載「1945年 夏を訪ねる」の第6回です。
  無料登録で全回読めます。ぜひどうぞ。

「戦争責任者の問題」は、ウェブサイト青空文庫で全文お読みいただけますが、2010年に復刊された『伊丹万作エッセイ集』(ちくま学芸文庫)に収録されていて、よく売れています。

mansaku_essay.jpg記念館のグッズショップでも販売しています。

グッズショップでお買い上げくださる方から、「知り合いに勧められて」「ネットで知って衝撃を受けました」「手元にいつも置いておきたいと思いました」等、お声掛けをいただくことが多々あり、お客様の真剣な眼差しに「しっかりやっていかねば」と緊張を覚えます。

伊丹万作は、「戦争責任者の問題」を発表した年の秋に、この世を去りました。草葉の陰で「アシが70年近くも前に書いたものがまだ読まれているとは、有難い反面、日本も困ったものじゃのう」と嘆息しながら苦笑しているかもしれません。

これからの戦後80年、90年、100年――年月を経るにつれ、驚きをもって注目されるのではなく、万作の説いた自己反省の精神が、誰にとっても当たり前のことになっていくように心から願いつつ、広く長く伝えていきたいと思います。

学芸員:中野