記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2015.06.15 読書案内のご案内

今年の母の誕生日、プレゼントのリクエストは本でした。
書名も明確に示してくれたので、本屋へ行って難なく探し当て、淀みない流れでお勘定へ。「チーン!」のその瞬間に、「ハテ、自分がただただ読みたいと思った本を、自分のために買ったのはいつだったっけ?」との疑問から、突発的な焦りで頭が真っ白になる、という経験をいたしました。(私が突然固まったので、書店員さんは「手持ちのお金が足りないの?」と心配なさったかもしれません。大変失礼いたしました。)

最近、読書でのインプットを怠っているなぁ、思考の養分が切れてきたなぁ、と自覚はしていたのですが、サボる口実・できない言い訳は泉のようにわいてくるわけで......それに浸かり過ぎていたと反省。新聞の書評欄は面白いけれど、読書をした気になりがちだけど、それじゃ肥やしになりません! ということで、細かいことは何にも考えずに、かねてより気になっていた本、自分の苦手分野だけどこれは読まなきゃと感じていた本を購入しました。

dr_sibatani_book.JPG柴谷篤弘『あなたにとって科学とは何か 市民のための科学批判』
(みすず書房・1977年)

1977年――38年前に出版された本なのですが、実は、1980年に書かれた、ある興味深い読書案内が、これを私に「勧めて」くれたのです。
その案内文をご紹介させていただきますと......

(略)ある科学技術、たとえば原子力発電が実施される場合、その恩恵と被害を国民全体が公平に受けるかというと、その答えは「否」である。科学技術は国民を、恩恵を受けるグループと被害を受けるグループの二つに「必ず」分けてしまうという宿命を持つのである。ではこの場合、被害者の側に分けられてしまった人間は抗議することができるだろうか? これは大変むつかしい。抗議するためには科学の土俵にのぼらねばならぬが、科学というのは仮説であるから、原子力発電を是とする科学も、それを非とする科学も同様に作りうるのであって、どちらの科学を正しいとするかは科学の立場からは出てこない。しかも、科学の土俵に上がったとたん、一番肝心の訴え、たとえば先祖から伝えられた土地と暮らしを守りたい、というような人間的な訴えは「非科学的な」ものとして切り捨てられ、争点はいつのまにか原子力発電の安全性の如き「科学的な」問題にすりかえられてしまう。そして、いったんすりかえられてしまえば、科学技術というのは高度に専門的な領域であるから、一般大衆は無知なる多数として発言する術も資格も持たないト――これが「公平無私」にして「客観的」たるべき科学の、大変生臭い政治的状況であるといえよう。
 著者はこのような科学の政治性から説きおこして、ついには、いかにして科学を人間の手に取り戻すべきかの大きな展望を描き出す。高度な内容を平易な語り言葉で展開してくれた著者の努力に感謝。

これを書いたのは――もうお察しですね――伊丹十三です。
初出は1980年に朝日新聞で担当していた連載コラム「一週一冊」で、その後、単行本『自分たちよ!』(文藝春秋・1983年)に収録されました。

ついさっき古書店から届いた『あなたにとって科学とは何か』をめくったところでは、「高度な内容を平易な語り言葉で展開してくれ」ている、と伊丹さんが書いているとおり、真面目だけれど気取りのない先生の講義を聞いているかのようにスルスルと頭に入ってきますし、選ばれている語彙や文の展開に、誠実さを感じます。これなら物理も化学もチンプンカンプンだった私でも読破できそうです。

私たちが今まさに大いに困っている問題についてのヒントを30年以上前の本に求めることになり、長年の不勉強が悔やまれてなりませんが、自分と「同い年」の本でもあるので、ここから始められるのは何かのご縁かも、という気がしています。

「一週一冊」では、他にはこんな本が紹介されていました。

jibuntachiyo.JPG伊丹十三『自分たちよ!』(文藝春秋・1983年)

●フロイト『精神分析入門(正・続)』 ●J.P.シャリエ『無意識と精神分析』 ●岸田秀『ものぐさ精神分析』 ●鈴木秀男『幼児体験 母性と父性の役割』 ●M.J.アドラー、C.ヴァン・ドーレン『本を読む本 読書家をめざす人へ』 ●木村敏『自覚の精神病理 自分ということ』 ●ジーン・マリン『ほんとうの女らしさとは』 ●丸山正男『日本の思想』 ●川島武宜『日本人の法意識』 ●森有正『生きることと考えること』 ●山下秀雄『日本のことばとこころ』 ●森有正『経験と思想』 ●佐々木孝次『心の探求 精神分析の日記』 ●山下恒男『反発達論 抑圧の人間学からの解放』 ●宮本常一『私の日本地図』 ●コリン・ウィルソン『殺人百科』 ●吉田敦彦『神話の構造』 ●B.ベッテルハイム『母親たちとの対話』 ●大塚久雄、川島武宜、土居健郎『「甘え」と社会科学』 ●土居健郎『精神療法の臨床と指導』 ●黒田寿郎『イスラームの心』 ●鈴木秀夫『森林の思考・砂漠の思考』

『自分たちよ!』は絶版ですし、上記の本も、古本で探さなければ手に入らないものがほとんどかと思いますが、雨の季節の読書生活のご参考になりましたら幸いです。

学芸員:中野