こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2013.01.28 『朱欒』より「咬菜餘譚」(1)
ただいま展示中の回覧雑誌『朱欒(しゅらん)』第6号(大正15年2月編集)に、伊丹万作が書いた「咬菜餘譚(こうさいよたん)」という評論風の随筆が収録されています。
「野菜(おかず、かもしれません)を食べながら思ったこと」について綴られていて、『朱欒』で万作が発表した数々の文章の中でも一、二を争うほどに面白い興味深い文章だと、わたくし思っております。展示では見開きにした箇所しかお読みいただけないのがとっても惜しい作品なので、2回に分けてここでご紹介いたします。
(古めかしい漢語調でちょっと読みづらいのですが、意図的にそういう風に書いたのだと思うので、原文でお楽しみください。)
大根を喰む。何の変哲もないが、其の味は今更に驚く可きものがある。余思ふに大根は恐らく野菜中の大王ならむか。
当時万作は練馬あたり(現在で言いますと豊島区東長崎)に住んでいまして、住まいは大根畑に囲まれていました。練馬大根、有名ですよね。
その頃の万作は雑誌に挿絵を描きながら洋画家を目指していたのですが、「画道追求のために、挿絵であっても商業的な俗な絵は描かない!」というスタンスに徹したところ、当然ながら挿絵の仕事が激減しまして、ひどく食い詰めることになったわけです。しかしながら幸いにして近所は大根畑。もらいものか安く買ったかは分かりませんが、鈴木春信が描く美女の脚のようなみずみずしく立派な大根を手に入れて、どうにか食いつないでいた、そんな時期でした。(友人が遊びに行くと、おつゆも大根、おかずも大根、なんとデザートも大根という、大根のフルコースでもてなした、なんていう逸話もあります。大根のデザートって、どんなだったのでしょうね。)
大根を煮る、醤油の加減一つに在り。凡そ料理に於ては、簡なるは即ち難し。其の代り、手加減ぴたと的を射れば、いかに複雑なる料理と雖(いへど)も及ばず。大根の煮たるは熱きを食ふもよし、翌日になりて揚げの油、どろりと浮きたるを執り出し、歯にくいる様なる冷たさを味ふも亦格別なり。
自分は其の枯淡な中にしみじみとした暖かさあり、また世話じみた味を好む。歯に於ける觸覺は豊かなる肉感を蔵す。
熱いのも冷めたのも、枯淡な中にしみじみとした暖かさ...世話じみた味...豊かな肉感...大根が食べたくなってきますねぇ。さて、ここで話は意外な方向に展開します。
余は亦大根を咬めば必ず大雅の繪を想ふ。大雅のヱを観れば亦必ず大根の味を想ふ。實に一味共通せるものがある。
大根を食べると、池大雅(与謝蕪村と並び文人画の大成者と称せられる江戸時代の文人画家です)の絵を思い出す、と言うのです。なるほど、そうかもしれません。言い得て妙。
実は、「咬菜餘譚」が書かれた一週間ほど前、大正15年2月14日の万作の日記にも「大根の煮たのは何よりうまい。枯淡な底にしみじみとした暖みある所、大雅の南畫(南画=文人画)の味也」とあります。生活の中で感じたことをもとにした文章だったんですね。
専ら十便圖を歎賞飽くを知らず。
余思ふに南畫は大雅堂(=池大雅の画号)に極まれりと言ふ可きであらふ。支那に興った南畫は日本大雅堂に於て完成されたりと見るを妨げない。余は支那の南畫に就いて餘り多くを知らぬ、然乍ら、余の知れる範囲に於ては支那本国に於ても大雅を凌ぐ程の名手は餘り見当らぬ。
絶賛していますねぇ。よほど心酔していたのでしょう。
それで、偶然にも好機到来、愛媛県美術館で開催されていた「出光美術館所蔵文人画名品展」に池大雅の作品が来ていましたので、拝見しに行ってまいりました。「私にも大雅の絵に大根を感じることができるだろうか」と。(こんな動機で展覧会に行くのはいくら私だって初めてのことでしたけど...妙なことですみません...)
はい、たしかに、的確な薄味に炊いた大根のような、しみじみとした旨味あふれる表現を目の当たりにすることができました。
...が、私としては「湯豆腐」の方がしっくりくるような...人物や動物の肌が豆腐っぽいような...植物性タンパク質を感じたといいますか...その上に、白いおネギに生姜に削り節をフワっと...ポン酢じゃなくて甘めのお醤油をちょっとだけたらして...あ、私がこのところ湯豆腐ばっかり食べてるせいでしょうか...
この「咬菜餘譚」収録の『朱欒』6号と万作の日記は、「父と子」展で並べて展示しています。
2月下旬にほかの作品と入れ替える予定ですので、お早めにお楽しみください。
「文人画名品展」は1月27日で終わり、ご紹介遅くなったのが申し訳ないのですが、どこかで機会がありましたらぜひ池大雅の絵もご鑑賞ください。(そして「何味だったか」ということを、私にこっそりお教えくださいましたら幸いです。)
大寒から一週間たちました。一年でもっとも寒い時季です。お腹の中からあたたまるものを食べて、しのいでまいりましょうね。手洗いうがいも忘れずに。
学芸員:中野
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