記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2012.03.05 『ワイドサタデー』と伊丹さん

1970年代に伊丹さんが出演し、毎週土曜日の午後3時から西日本で放送されていた『多元生中継テレビショー ワイドサタデー』という番組をご存知でしょうか?

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"瀬戸内海をスタジオに"を合言葉に、西日本の民放局が系列を超えて(!)共同制作していた完全生中継(!!)の番組。しかも、スタジオからの生中継ではなく、各地に司会者が飛び出して行ってのリポートを2箇所あるいは3箇所、生中継で結ぶ(!!!)という、画期的な試みに満ちた番組だったそうです。その司会者のひとりが、伊丹さんでした。

という情報をお寄せくださったのは、当時、この番組の担当ディレクターでいらっしゃった、元南海放送の平岡英さん。長年大切に保管なさっていた台本・写真とともに、いろいろとお話をお聞かせくださいました。

hiraokasan&itamisan.jpg(宇和島からの生中継の日、平岡さんと伊丹さん)

この番組は、大阪の朝日放送を基幹局に、山陽放送、中国放送、大分放送、RKB毎日放送、南海放送、宮崎放送、四国放送が、それぞれの地域の面白い人物、風物などの紹介を企画、リポーターである司会者が各地に赴き、生放送の最中にさまざまな人々や出来事に出会う—というものだったそうです。
例えば、平岡さんにいただいた台本によりますと...
第197回(1974年10月19日放送)「終着駅の旅 その1」では、伊丹さんの担当した宇和島駅の他には、柴田美保子さんが門司港駅から、小林京子さんが宇野駅からリポート。
第209回(1975年1月18日放送)「たくましく生きる」では、伊丹さんは中山町(現伊予市中山)で昔ながらの暮らしを営むご家庭を訪問、柴田さんは尾道の魚売りの女性を取材、という具合です。

wide_saturday_2.JPG(平岡さんご担当、愛媛での伊丹さん出演回の台本です)

平岡さんは、「この番組の生中継のために、東京から西日本のいろいろなところへ毎週遠出していたわけですから、伊丹さんにとっては大変な労力だったと思います」とおっしゃいますが、スタッフの方々も相当なご苦労がおありだったことと思います。何しろ、街中ではなく山村漁村が舞台になることもあり、今のように衛星中継ではなく地上波での中継、カメラなどの機材もまだまだ重く大きかった頃ですから。

『ワイドサタデー』で、南海放送は(伊丹さんのリポート回ではなかったそうですが)宇和海海中公園の、文字通り「海の中」からの生中継という快挙も達成なさったそうです(カラー放送では世界初の水中からの生中継ではないか、と言われているそうですヨ!)。いわゆる「半ドン」の土曜日の昼下がり、遠い土地や見たこともない光景のライブ映像に魅了された方はたくさんいらっしゃったと思いますし、伊丹さんも、チャレンジ精神に富んだスタッフといろいろな場所へ行ける、刺激的な生中継を大いに楽しんでいただろうと思います。

ところで、平岡さんは松山東高校で伊丹さんと同級生でいらっしゃったそうです。平岡さんのお姿を見つけた伊丹さんから「やぁ、おひさしぶり」と声をかけられたというお話も伺って、「高校の同級生と約20年ぶりに現場で再会...なかなかにドラマチックですねぇ」と思いつつ、伊丹さんが言った「やぁ、おひさしぶり」の声と、ニッコリする表情が目の前の出来事のように想像されたのでした。

平岡さん、貴重な思い出のお品、お話、ありがとうございました。
この番組をご覧になったことのある方、ぜひその思い出をお聞かせください。

※当館では、伊丹十三に関する資料・情報提供をお待ちしております。
 ささいなことでも、ぜひお知らせくださいませ。

学芸員:中野