こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2011.12.12 捨てる!
私はなかなか「鉛筆」が捨てられません。まだ書ける状態で捨てることができません。服などは中古でも引き取ってくれるお店があったりしますが、さすがに一度削った鉛筆は捨てる以外には自分で使い切るしか方法がないのですが、学生でもない現在、鉛筆を使い切るほど「書くこと」もそうそうなく、大掃除の度にあっちにやったりこっちにやったりしています。
しかしこれは「私の価値観」であって人によっては鉛筆を捨てることに違和感を感じない人もいると思います。個人の感覚や価値観は様々で、どれが正しいということを論じるのは難しいと思います。が、お金に関してはどうでしょうか。みなさんは次にご紹介する伊丹十三のエッセイを読んでどう感じますか。
「1円玉(札)を捨てる」という話から、「1円」や「お金」やに対する価値観について語っているのですが、その話の枠を飛び越えて、普段から「当たり前」と思っていることに対して「そもそもホントにそれ当たり前?何を根拠に?」と伊丹十三に問われている気分になります。この「モノの見方」が伊丹さんなんだなあ、と感じるエッセイの一つです。ご一読ください。
【画像:2005年3月新潮社より発売 文庫 「再び女たちよ!」】
伊丹十三エッセイ 「捨てる!」
学校へ通う電車の中で、アメリカの兵隊と向かい合わせに腰をおろしたことがある。兵隊の膝の上には、およそ小さな紙屑籠の中身をぶちまけたくらいの、紙屑の山があった。
いや、紙屑と見えたのは一瞬で、仔細に眺めるなら、それはくしゃくしゃになった日本の紙幣の山であった。
兵隊は—おそらく退屈しのぎにであろうが、服のあちこちのポケットから引っぱり出した日本の紙幣を整理しようとしていたらしいのだ。千円札は千円札、百円札は百円札、十円札は十円札、五円札は五円札—兵隊の不器用な作業はのろのろと進んでいった。電車はかなり混んでいたが、周囲の乗客の眼は、この兵隊の手もとにことごとく集中して離れなかった。
なぜか?
紙幣の山の中に一円札を見つけると、兵隊はその都度それを抜き出して窓の外へ捨てたのである。
「ひらっ、ひらっと、こう一円札が窓の外で翻えっちゃあ、すっと後ろへ流れて見えなくなるんだ。これはショックだったなあ」
「ショックってのはどいういうこと?つまり一円を笑うものは一円に泣く、なんていうじゃない。そういうことってわれわれ割合いに信じてるんだよな。お金を粗末にしちゃいけないっていう気持ちは、かなり意識の深いところに根をおろしちゃってるんだよな。そういう意識がショックを受けたっていうこと?」
「うん、つまりそうなんだけど、でも今考えてみても、不思議に不愉快なショックじゃなかったなあ。どっちかというと、こちらの盲点をつかれたみたいな、というか、権威が目の前で崩壊していくのを見てるみたいな、なんか唖然としながらも笑いがこみあげてくる感じね」
「うん、わかる、わかる。そもそもさ、その兵隊のやっていることがさ、変に理屈にあいすぎてるのがまた可笑しいんだよね。一円札なんか紙屑同然だ、じゃあ紙屑みたいに捨てちゃおうってんだから、こりゃ可笑しいよ。物に捕らわれなさ過ぎるんだよ、この兵隊」
「つまりねえ、金の主人っていうのは本来人間なんだよ。当り前の話だけどさ。ところが現実はそうなってないよね。金の方が人間の主人づらしてるもん。ぼくなんか随分警戒してても、やっぱり無意識のうちに収入か財産で人を評価してることってあるもん。つまり金がただの金でなくって人間を計る物差しにまでなっちゃってるっていうことね。これは随分根深いもんだよねえ、今でもぼくは一円玉なんか捨てる時、やっぱりちょっと疾しいような、後ろめたいような、なんか抵抗感じるもんね」
「というと、あれかい、きみは一円玉捨ててるの?」
「よく捨てるよ、まあ必ず捨てるね」
「そんなことしちゃよくないよ、そりゃあ悪いことだよ」
「ほら、きみだってそういうだろ。お金を粗末にすると罰があたる—本気でそう思ってるんだよ。みんな一種の畏怖の念を抱いてるんだよ、金に対して。ほとんど信仰に—といっても未開人の信仰に近いもんだぜ、それは」
「だって、だからといって金を捨てるっていうのは—」
「どこが悪い?自分の金を、自分の犠牲において捨てるんだぜ。いや、勿論犠牲なんて思ってやしない。あんなゴミみたいなものを持ち歩きたくないし、第一持っててもなんの役にも立ちゃしないじゃないの。まあ、だまされたと思って一度パッと捨ててごらん、一円玉。こりゃあいい気分だから、解放感があるから」
「いやあ、おれはだめだな、絶対捨てられないなあ、やっぱり冒瀆だよ、そりゃあ」
「冒瀆ったって、なにに対する冒瀆なんだよ?」
「だって労働の結果得たものを、そんな工合に捨てちゃうってのはさ、つまり神聖な労働に対する—」
「労働がどうして神聖なの?国会議員だって高利貸しだってみんな労働してるよ。あれも神聖なわけ?労働なんてのはさ、時にはつらいし、時には退屈だし、時には食うためにやむをえずだし、時には穢いし、時には楽しいし、まあそんなもんであってさ、神聖とはまるで関係ないじゃないの」
「それにしてもさ、片一方では一円にも困って貧乏してる人がいるのに、きみが一円玉を捨てるっていうのは—」
「そんなことはまるで無関係だよ。一円にも困る人がいるっていうことは、これは悲しむべきことだし、そういうことが無くなればいいと思うよ。だけど現にぼくが一円玉を捨てないで机の引出しに入れといて、その人たちがうるおうの?全然関係がないじゃないの、そんなこと」
「そうかなあ、じゃあみんなが一円玉捨て始めたらどうなるんだい」
「そうさねえ、世の中にお金が少なくなるんだからさ、お金が少なくて物が多いというとこになって物価が下がる—」
「おいおい、出鱈目もいいかげんにしろよ」
「なにが出鱈目だい。全然出鱈目じゃないじゃないの。だからさ、みんなが一円玉捨てれば—」
「知らん、知らん、おれは知らんぞ。お金にはそれを使った人の生き霊がこもってるんだから。おれは知らんぞ。お前さん必ず罰が当たるんだから」
「再び女たちよ!」 −捨てる− 伊丹十三
【画像:まだ書けるかな?と思って置いておいた鉛筆です。この撮影後捨てました。】
スタッフ:川又
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