こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2011.12.05 内田樹氏講演会—伊丹十三と「戦後精神」—を開催いたしました!
去る11月29日(火)、松山市総合コミュニティセンターのキャメリアホールで「第3回伊丹十三賞受賞記念 内田樹氏講演会」を開催いたしました。会場には、ナントナント、900人を超えるお客様にお越しいただきました。現在の集計で917名様のご来場であります。みなさま、まことにありがとうございました。一部のお客様には補助席・立ち見でご聴講いただきましたこと、お詫び申しあげます。
内田先生からは『伊丹十三と「戦後精神」』という演題を頂戴しておりまして、どんなお話になるんだろう、と楽しみにしておりました。
内田先生は現代社会の諸問題について、幅広く著述・講演なさっていらっしゃいますが、今回の講演会は、他のどこでも聞くことの出来ない、当館の主催事業としてはこのうえなくありがたい(文字通り「有り」「難い」)伊丹十三論をお聞かせくださいました。
さて、拝聴いたしまして。「『ヨーロッパ退屈日記』を徹底的に読む」をテーマとしたお話は—(以下、ワタクシのつたない要約であります。箇条書きのようになってしまいましたが、何卒ご容赦ください)—
伊丹十三は「十三の顔を持つ男」とも言われるほどに非常に多面的な仕事をしたけれども、そのような経歴になったのは、「自分が何をしようとしているのか」本人にも捉えきれずにジャンルをずらしながら探ったからではないか。本人にもよくわからないことを余人が論じるのは難しいことであるが、彼の志、こめられたメッセージは非常にシンプルである。
伊丹十三は、「敗戦と同時に自分たちが信じてきた価値を全否定されたために、終戦前と後とに半身を引き裂かれた戦中派」であり、「否定し去られた価値の中にも、未だ信じるべき価値のあるもの、日本人の美質があるはずだ」と「半身(少なくともその一部)」の奪還を、個人として、国民として生涯試み続けた人物のひとりである。そのことは『ヨーロッパ退屈日記』における日本人批判、アメリカ人批判、自国の文化に誇りを持ち守っている人々に対する敬意にあらわれている。そして、一行も書かれていないけれど、彼は明治人の典型、つまり、彼が少年時代に「そうありたい」と願ったような人物である柴五郎を演じたくて『北京の55日』に出演したのではないだろうか。
伊丹十三がさまざまな仕事を通して言いたかったのは「日本人よ、誇るべきものは誇りなさい、恥ずべきことは恥じなさい、自己点検しなさい」ということだった。それゆえに、『ヨーロッパ退屈日記』は1960年代に20代の青年が書いたものでありながら、今なお読む甲斐のある文化批判として残り続けている。
しかし、なぜ、未だに包括的な「伊丹十三論」が存在しないのかというと、我々日本人全体の知性、倫理性が劣化しており、「まっとうな大人」から告げられるそのようなメッセージを受け止める素地がないからである。伊丹十三の作品の中で、自分達がゆっくり劣化していく社会的趨勢を読み込むのが苦痛なので、読まないように「拒否」しているからである。そのかわりに、趣味のよさ、批評の切れ味のよさといったものを、完成した美術品のように鑑賞している。
伊丹十三には、勇気、すなわち、孤立すること・理解されないことを恐れない侍的なエートスにちかいものを感じる。本人があまりに洒脱で韜晦癖もあったので、そのようなストイックで教化的なメッセージは伝えられにくくなっているが、実は全力を尽くして伝えている気がする。シンプルではあるが、今の我々が受け止めにくくなっているメッセージを発信する人なので、彼について論じようとする人が「自分にはどれだけ勇気があるか」と自己点検すると、深く恥じ入ってしまうような端正なたたずまいがあり、それが彼について我々が語ることを妨げている気がする。日本人が彼についてのびやかに的確に語れるようになることが、我々の知的な、情緒的な成熟の掛け金である。
伊丹十三のことを「この人すごい」と思い影響を受けながら、どこがすごいのかは分かりにくかった。たたずまいの中に非常にピュアでノーブルなものがあるが、「ノーブル(高貴な)」という形容詞は、現代の日本人が人を誉めるときに絶対に使わない言葉であり、そのような形容詞のつく人物を、我々はどう評価したらよいのか分からないものである。伊丹十三という人には、「ノーブルな魂を持った人の受難」を感じる。しかし、孤立することを恐れない勇気を支えていたものは、実は一般的な価値—「人間は規律を持たなければならない、自分の弱さ醜さ邪悪さを許してはならない」—だった。
弱さや醜さや悪意は人間的なものだと思われているが、人間世界に入り込んで、人間的な秩序を破壊しようとする、非人間的なものである。人間社会は人工的なもので、非常な努力をしなければ守れない世界である。その世界に邪悪なもの、暴力的なものが入ってこようとするのを押し戻す「境界を守る人」がいて、これは珍しいことではなく、多くの文学作品にも登場しており、伊丹十三もそのひとりである。孤独で自発的で誰にも知られず敬意も払われない、このような仕事をしている人は減りつつあるが、まだたくさんいる。我々は、このような人たちに時々気付いて、その背中に向かって手を合わせるぐらいのことはしてもいいんじゃないかと思う。
この会場にも「境界を守る」仕事をしている方がたくさんいらっしゃると思う。おそらく、評価されることも大きな社会的支援を受けることもないでしょうけれども、どうぞその仕事をがんばってください。そして、伊丹十三のようなすぐれた先駆者がいることを記憶しておきましょう。
—自分達がゆっくり劣化していく社会的趨勢を読み込むのが苦痛なので、読まないように「拒否」している—のくだりは、「耳が痛い!穴を掘ってでも入りたい!」と恥じ入りましたが(いいお話は耳が痛いものですよね...)、20代の終わりに『ヨーロッパ退屈日記』を始めて読んだとき、「そうだそうだ!」と胸のすく思いと「す、すみません」という反省の思いが去来したこと、「え...これを書いたときの伊丹さん、今の私より若かったの...?なんか悔しいけど...面白く読んじゃったよ...チクショー面白いじゃないか!」と感じたことを思い出しました。
講演の全文書き起こしは、1月下旬頃から2月頃、このホームページ内に特設ページを設けて掲載したいと考えております。
残念ながらご来場かなわなかった皆様、準備のためにお時間頂戴いたしますが、今しばらくお待ちくださいませ。
最後になりましたが、開催のために、ご協賛、ご後援、ご協力くださった企業の皆様、ポスターのために素敵なお写真をご提供くださった宗石佳子さん、当日会場の運営に携わってくださった皆様に厚くお礼申しあげます。
関西からはるばるお越しくださった「内田家」の皆様、そして、今回のご講演をご快諾くださった内田先生、ありがとうございました。
講演会の翌日、「内田家」ご一行様・中村好文さん・宮本館長
学芸員:中野
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