記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2011.08.15 八月

今日は終戦の日です。

八月は、広島原爆忌、長崎原爆忌、終戦の日と続き、日本人としてどう生きるべきかについて、考えずにはいられない月です。加えて、今年は東日本大震災で犠牲になられた方々のご遺族にとっては初盆、ということもあります。

日本人として宮古出身者として重い気持ちで過ごしておりますが、ノートと鉛筆を携えた小さなお客様が神妙な面持ちでご来館くださるお姿を拝見しますと、「そうかそうか、私にも覚えがあるぞ」と、先輩面でついニヤリとしてしまう月でもあります。

近年では、ドリルなどの宿題は出さずに「読書感想文と自由研究だけ」という学校も増えてきているのだそうですね。とはいえ、感想文も自由研究も、小学生には持ち重りのする憂鬱な課題であることには変わりがありません。その自由研究に「愛媛の先人としての伊丹十三」あるいは「伊丹万作」を選んでご来館くださる方がいらっしゃるのです。ありがたいことです。

私の夏休みの宿題対処法はといいますと...
感想文、大嫌いでした。(他人の書いたものを端的にまとめてコメントする能力がないためにウッカリあらすじを長々と書いてしまって、途中で嫌になるタイプでした。ただもうマス目を埋めるだけ。)
自由研究は、根気がなくて王道の「観察系」には向かないタチなので「それ以外」のネタを探すことから始めなければなりませんでした。(その結果、紙芝居を作るとか、どこぞの町について調べるだのといった、創作系・調査系ばかりになってしまったわけです。まぁ、瞬発力と集中力で終わらせる、という感じで。)
ちなみに、お天気の記号を書き込むあの表、あれもダメでした。(今ではウェブサイトで過去の天気を調べることができますが、昭和の子供だった私は、母がつけていた日記を拝借して写させてもらっておりました。しかも始業式前夜に。今思えば、お天気記号が現実のお天気と合っているかどうかを確認するほど、学校の先生も暇じゃないはずなんですけどね...)

そんな私が今の企画展の準備を進めていた頃、伊丹さんのこんな回想に行き当たりました。

(結核で寝たきりだった父・万作は気難しい人で、家族は息をひそめて暮らしていた、という話題のあと)しかし—やはり父といえども、時にはですね、これでは子どもがあんまり可哀想だと思うのかも知れませんね。サーヴィスをするわけです。たとえば、夏休みの宿題の、自主製作なんかを手伝ってくれたりするんですね。父が毎日病床から空の雲の写真を撮る。私がそれに記録を書き添えて、親子共同製作の観測日記を作る、というようなこともあった。

(「父万作のかるた」『別冊太陽 いろはかるた』より)

ほうほう、伊丹さんと万作さんの共同製作!? 見たい見たい!!
しかし残念ながら、この「自主製作」(今でいう自由研究なのでしょう)は当館に所蔵されておらず、私も見たことがありません。もしどこかに残されているのなら、一目だけでも見てみたいものです。きっと、とびきり素敵な作品だったに違いありません。

まぁ、元画家で映画監督、凝り性で美的感覚に秀でたお父さんが撮ってくれた写真を自由研究に、などという幸運は一般的にはほとんど体験しようのないことではありますが...いたいけな少年少女たちが自由研究に頭を悩ませながらも子供時代を満喫した先に、しっかりとした考えを持つ大人に育ってくれるように、子のない私でも、大人としてうんと考えなければならないことがたくさんあるぞ、と思う夏であります。「キミたち、大人になったら毎日毎日、果てしのない自由研究の連続なんだぜ」なんて、偉そうに言えるほどにはなれそうにありませんけど...あ、でも「自由研究ができるのは、キミの暮らしが平和な証拠なんだよ。ありがたいことなんだよ」ぐらいは言えるかな...

最後に、1945年8月10日の万作さんのひとことを——

新性能の爆弾の威力範囲は半径●キロと説明されていたが、我々の兵器に関することなら伏字もやむを得ないが、我々には敵がたの秘密まで守る義務はないはずである。あるいは人心の動揺を防ぐためかとも思うが、明らかに数字を示して性能を限定するのと、伏字にして無限の想像をそそるのとはたしていずれがその目的にかなうであろうか。
(「静身動心録」『伊丹万作全集』第2巻より)

clouds.JPG
私が撮った記念館裏の雲の写真ですみません...
学芸員:中野