記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2026.07.13 2026年夏の課題図書

梅雨明け間近の週末、初蝉が聞かれた松山です。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

20260713_1.jpg7月10日(金)朝、中庭の桂のこの辺から
セミの声が聞こえてきました。

先日、東京・神保町の古書店でこんな本を見つけました。

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名脚本家・八尋不二氏(1904-1986)の自伝的交友録『映画の都のサムライ達』(六興出版、1980年)です。

八尋さんといえば、大作もコメディも手掛けていらっしゃいますが、カッチリとした構成と少しドライな虚無感の漂う時代劇で多くの観客を魅了した脚本家だと思います。
脚本家の名前や作風を意識して映画を観るようになった頃、八尋さんのシナリオだとワクワクしながら映画館へ向かい、果たして大満足で帰路についたものでした。「カッコいいなあ」「シビレるなあ」と。

そんなわけで、古本屋の書棚に「八尋不二」の名を見つけるや「これだ!」と思うより先に手が伸びていて、10秒後にはお勘定を済ませておりました。優柔不断なわたくしとしては異例の早業。

繙いてみますと、仲間付き合いにおける奇縁や機微といったものを愛しく思う気持ちが、さりげなく、時にほんのりとあたたかい調子で記されていました。「クールなシナリオを書く八尋さんだけど、こういう人だったんだ、いい本と巡りあったな」と感じています。
あ、スター俳優たちについては、時折「色黒」「手足が太い」「年増」などと辛辣でビックリするんですけどね、そこは旧知の仲のご愛嬌ということで......

ところで、八尋さんは伊丹十三の父・伊丹万作と縁浅からぬ人物でもあり、互いが若手脚本家だった頃の苦い出会いのこと、万作から届いた真剣かつユーモラスな釈明と詫びの手紙のこと、その後の親交のこと等々、万作とのエピソードがこの本のそこここで紹介されています。

伊丹万作によるシナリオ評には「これだけ僕をよく識っている文章に後にも先にも出会ったことがない」「彼の僕に対する愛情の深かりしことを、しみじみと感ぜずにはおれない」とも。
そのシナリオ評、ちょっと読み返してみましょうか。

1941~42年、伊丹万作は雑誌『日本映画』に連載していた「シナリオ時評」で、八尋さんのシナリオ『渡辺崋山』(未映画化)をこう評しました。

「崋山」においては、不二もまったく大人の作家になったという感じが深い。その天賦の才華はしばらく別問題として、山中(貞雄)などもひっきょう大人の世界に入り得ずして死んでしまったが、山中の才をもってしても、遂に企ておよばなかった境地にまで、今日の不二が到達しているのをみると、しみじみ年齢の尊さを思わずにはいられない。


 いったい不二くらい、これまで、環境や製作の悪条件に禍されて、むざむざシナリオを殺されてきた作者もあまり類がない。しかし、それが彼を練り、彼のシナリオを強靭にしたと思えば一概に不運とのみはいい切れないかもしれない。だから彼のシナリオは俳優や監督に頼ったところが少しもない。もう今度の「崋山」などは、どんな悪演出で映画化されても、決して殺してしまうことのできないシナリオになっている。これは、たしかに容易のわざではない。

この高評価ついて、八尋さんは「まったく気恥しいくらいの過褒」と書いていますが、ただ褒めるばかりでないのが伊丹万作という評論家なのでして――

 私の考えでは、不二のシナリオは、時間的構成の測定の確かなこと、書く場面への重量のふりあての正しいことなどが特色をなしている。だから、つい話しこんで長くなり、あわてて走って帰る途中で転倒して怪我をするというような不体裁は、彼のシナリオにおいてはまったく見られない。すべての挿話は、あらかじめ計画せられたとおり、冷静沈着、かつ正確に運ばれて行く。しかし、このような特質は彼の長所であるのと同程度に、短所をもなしており、そのために、どうかすると本能的、無意識的な深味に欠け、ともすれば機械的な冷たさが覗く。不調和なうちに自然と備わる美しさといったような味にとぼしく、あたかも定規を使ってえがいた絵の様に割り切れすぎるところがある。たとえば今度の「崋山」でも、あれほど打ちこんでいる題材だから、もう少しフィート数や時間におかまいなく、(というよりも、むしろ、かまいたくても、かまっている余裕がないほど)偏執的に崋山にくいさがったところが見せてもらいたかったのであるが、相変わらず彼は冷淡なほどすらすらと片づけているのが、一抹私にはもの足りないところである。

と惜しく感じた点を指摘し、それから、

これは必ずしも芸術批評ではないが、このシナリオの中で、崋山の同藩の家老川澄又二郎という人が酷く敵役にされているが、私の想像ではこれはあるいは不二の創意によるものではないかと思う。(中略)


 ことわっておくが、私は作品と史実とのくい違いを詮議立てしているのではない。この場合敵役を作ることも、賛成であるし、十分にその効果をも認めているのであるが、ただ問題は、このような憎まれ役に実在した人物の名前をあてる場合には、十分慎重な態度を要求したいと思うのである。ことに近世の史実を扱う場合は、登場人物の子孫への影響もなまなましいわけであるから、このような場合の敵役にはむしろ架空の人物を設ける方がいいのではないかと思う。

と創作上のモラルを説いてもいます。
そうして、それに続く結びが最高なんです。

以上のほか、別に取り立てていうことはない。悪い作品に対してはいうことが限りなくあるが、良い作品に対しては何もいうことはないものである。

 

以上は『伊丹万作全集』第2巻「シナリオ時評」(筑摩書房、1961年)より引用

称えて、要望も苦言も述べて、最後に良い作品だと断言する。なかなかできることではありません。伊丹万作の人間性と筆の力のなせる業なのでしょうが、八尋さんとの深い関係性から生まれた評論なのだろうと想像します。
このような仲間の存在、どんなにか八尋さんの励みになったことでしょう。

――おっと、八尋さんの本を読んでいたのに、ついつい『伊丹万作全集』を読みふけってしまいました。こういう連鎖もまた読書の楽しみでありますけれども。
『映画の都のサムライ達』、今夜から2周目をのんびり読みすすめたいと思います。

学芸員 : 中野

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2026.07.06 豆乳ブルーベリー、今年も開始しました

記念館便りをご覧の皆さま、こんにちは。

カフェ・タンポポでは、今年も人気メニューの「豆乳ブルーベリー」を開始いたしました!

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豆乳ブルーベリー(税込800円)

 

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豆乳ブルーベリーは、毎年この時期にご提供を開始する、期間限定のメニューです。
春の期間限定メニューであった豆乳イチゴからバトンタッチしました。

ブルーベリーの酸味と豆乳のまろやかさがミックスされ、後味もすっきりのこのドリンクは、小さなお子様からご年配の方まで、毎年、世代を問わずご好評いただく人気のメニューです!
いかにもブルーベリー、という紫色のドリンクを、ロンググラスでたっぷりとお楽しみいただけますので、期間中にお越しの際はぜひどうぞ!

また、この時期は豆乳ブルーベリーと合わせて、ペリエ(炭酸水)を使ったメニューもおすすめです。ゆずのジャムやオリジナル生姜シロップをペリエで割ったシンプルなドリンクですが、さっぱりとした口当たりでこちらも人気のメニューです。

「ゆずペリエ」(ゆずジャム+ペリエ)、「ジンジャーペリエ」(生姜シロップ+ペリエ)、「ゆずジンジャーペリエ」(ゆずジャム+生姜シロップ+ペリエ)の3種類を一年を通じてご提供していますが、蒸し暑い夏には、飲むと特にすっきりしていただけると思います!

ペリエの細かな炭酸泡、生姜やゆずジャムの薄いオレンジやイエロー、ミントのグリーンで見た目もさわやかですよ。

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写真は上下ともゆずジンジャーペリエ(税込800円)。
ゆずペリエ、ジンジャーペリエは各税込700円です


記念館にお越しの際はぜひカフェ・タンポポにお立ち寄りください。


スタッフ:山岡

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2026.06.29 続・包丁

梅雨真っ只中の松山です。比較的涼しい日々が続いております。中庭の桂は雨が多く元気そうです。


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わたくしは企画展示室を通る際、毎度必ず見るものがあります。それは伊丹さんの包丁コレクションです。先週の記念館便りを読んで、それはわたくしだけではなかったことを知りました。橘学芸員も同じように伊丹さんの包丁を眺めていたようです。

『最近は展示室をとおるたびに、企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」』にて展示されている、伊丹さんが愛用していた包丁を羨ましく眺めております。』

先週の記念館便り 学芸員 橘『包丁



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伊丹さんの包丁コレクション

以前とあるインターネット掲示板の「もっと早く買えば良かった」と思うものを挙げた中に「菜切り包丁(なきりぼうちょう)」という意見を見つけました。菜切り包丁とは、刃が直線的で四角い形状をした、野菜を切ることに特化した日本の伝統的な和包丁です。

現在の企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」展』で展示されている伊丹さんの包丁コレクションの中にも、この菜切り包丁があり、普通の三徳包丁しか持っていなかったわたくしは、展示室を通るたびにこの伊丹さんの包丁を羨ましく眺めておりました。しばらく眺めておりましたが、結局、去年購入いたしました。



062903.jpeg中央にある長方形の刃の包丁が伊丹さんの菜切り包丁。老舗『有次』のもの。




062904 (2).jpg購入した菜切り包丁

 

 

力を入れずに野菜が切れ、切った野菜の移動も楽になり、噂通り大変使い勝手がよく、こちらを購入後、他の包丁をほとんど手に取らなくなってしまいました。

さて、先週ネットニュースで見かけた記事では、最近の若年層は『包丁キャンセル調理』をする人が増えているということです。忙しい日々の中で、手抜きではなく、調理を続けるための術だということですが、それも大変結構ではあると思いますが、ワクワクがあると家事は楽しくなるものだと思います。ここは、ひとつ、新しい包丁を買ってみるというのも手ではないかと思いますがいかがでしょうか。

現在の企画展には包丁の他にも伊丹さんの美しい台所用品の品々が並んでおります。それらをご覧になると新しい調理道具が欲しくなり、新しい調理道具を買うと使いたくなり、ワクワクが加速してどんどん料理をしたくなる、という流れになること間違いないと思います。ぜひおすすめいたします。



スタッフ:川又

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2026.06.22 包丁

6月も後半となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

梅雨真っ只中の松山では湿度が高くてじめじめとした日が続いております。天気も雨が降ったりやんだりとぐずついており、からりと晴れた日が恋しいです。

 

s-IMG_8562.jpg雨の日の記念館

 

s-IMG_8564.jpg濡れた葉っぱが綺麗です

 

 

松山では昨年よりも気温が低く、過ごしやすい日が続いておりましたが、私は季節の変わり目のせいか5月末に体調を崩し、花粉症の時のように副鼻腔炎を拗らせてしまいました。6月の下旬に入った今でも処方された薬を毎日飲んでおります。

 

体調が悪いと家の中のことをするのが億劫で、夫婦で長く風邪をこじらせたこともあり、5月から6月にかけて家事は最低限で良しという生活を送っておりました。特に食事は作ると片付けもしなくてはいけないため、お米だけ炊いてお惣菜を買ったり、お弁当を食べたり、外食したりと、かなり自炊はサボり気味でした。

 

本格的な自炊を復活させてふと気が付いたのは、調理器具が傷んできているということです。フライ返しが変形しまっていたり、菜箸がぼろぼろだったり、包丁が切りにくくなっていたり。

毎日使っていると「まあこれくらい」と使い続けてしまうですが、久しぶりにじっくりと見てみると、このままでは料理中に壊れてしまいそうだと反省しました。

 

これを機にいろいろと調理器具を見直していたのですが、2年近く使用している木製のまな板を見ていて、まな板の中央ばかりが傷つき、薄く削れていることに気が付きました。発見して咄嗟にこれは!と思い出したのがこちらのエッセイです。

 

 たいていの家庭では俎は真ん中が窪んでいる。真ん中が窪んでいるから包丁と俎の間に隙間ができる。ざる蕎麦の薬味に葱を刻もうというような時には、だからいくら力をこめて刻んでも、一番下になった皮が切れないから、刻んでから持ち上げると、全部が一つなぎにつながっている。

 ところが、料理屋の俎を見ると、まずたいてい、家庭とは逆にかすかな蒲鉾型に、外側が窪んでいるのですね。

 私は、なるほど便利なものだな、使いやすいように、ああやって外側を削っておくわけだな、と思ったのであるが、これは間違いと知れた。以下は辻留さんのお話。

「ちがう、ちがう。そやないねん。ご家庭の俎が、真ん中が窪んでおりますのんは、あれは奥さんがたの包丁の持ち方が悪い。オイ、ちょっと俎と包丁持ってきてみい。包丁いいますのはな、ホレ、ごらんのようにここに重心があります。刃の、ほとんど柄に近いとこや。そやさかいに。この重心のとこで包丁を持つのが一番力の経済でっしゃろな。それをやネ、家庭の奥さまがたは、この柄の端っこを持たはって、刃の、こないな先のほうで切ってはりますやないか。こらあきまへんで。包丁は、このように持ちます」

 辻留さんの包丁の持ち方をみると、たしかに包丁を重心のあたりで掴んだという実感と迫力がある。

 こうするとどうしても俎の手前が使いやすくなり、いきおい、俎は蒲鉾型にへってゆく道理と見えた。

「ことにやね、お刺身を切るような場合にはね、この包丁の、重心あたりから、一番先まで、このカーヴを百パーセント使いますねん。刺身包丁の刃の根のほうを使おおもたら、そら包丁握ってる手はどうしても俎の外へ出んならん。手が俎の上にあったんでは、包丁を、このように手前に引きます時、指がひっかかって、こら、かなんがな。そやさかいに、お刺身は、このように俎の手前に置いて、包丁握ってる手が俎の外へ出るようにして切りますねん。これ、こう、スウーッと。な?

 この刃は見事な曲線してますやろ。この曲線を端から端までフルに利用せなもったいないがな。ほれ、スウーッと。このようにして切られましたお刺身は、細胞がグチャアと押しつぶされてへん。細胞が生きとるねん。そやさかい、切り口がきれいやがな。そやさかい、おいしいがな」

(『女たちよ!』より「包丁の正しい持ち方」)

 

s-IMG_8571.jpg『女たちよ!』

 

ひとり暮らしを始めた際、この伊丹さんのエッセイを読んでから、包丁を持つときは刃の柄に近いところを握り、人差し指を包丁の背の部分にのせて、重心を取るように努めてきました。

ですが、どうにも下手くそなのか、力を入れ過ぎてしまっているのか、硬いものなどを切り続けているうちに人差し指の腹に包丁の背の跡がついてしまうのです。赤くなるし次第に痛みは出てくるしで、気が付けば包丁の柄は普通に握っており、一回で切り分けられなかった野菜などは包丁の先の方で切っていました。

努力はあまり実らず、まな板は真ん中に無数の傷がある。一人で使っていたわけではないのですが、やはり私が一番使っているので、これは私の使い方の癖によるもの。

 

そこでどうしたものかとあらためてエッセイを読みなおしてみて、重心を気にするあまり、身体の向きについてなどは頭から抜けていたことに気が付きました。エッセイのとおりに包丁を持ちながらも、包丁を正面に向けて持っています。野菜を刻むときは真上からストンと刃を落としており、お肉や魚を切る時も、刃の全体を使うことに意識が向かっておりません。これは余計な力をかけているというもの。実家に住んでいた頃をよくよく思い出すと、母も体を斜に構えて包丁を扱っていたような。

さっそく、エッセイを読みかえしたその夜に胡瓜を細切りにいたしましたが、体全体の動きも意識してみると、力があまり必要なかったのです。上手く包丁を扱えていなかったのだなあと、あらためて感じました。

 

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エッセイ「包丁の正しい持ち方」の挿絵になっているイラスト原画は

企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」』にて展示中です

 

なお、家で使用している包丁は家具量販店で買ったお値段がかなり優しいもので、切れ味に難があるという点も、切る時に余計な力が入る理由のひとつの気がします。幼い頃に母が言っていた、「切れない包丁の方が力を入れ過ぎて怪我をするのよ」という言葉が今になって思い起こされます。

 

最近は展示室をとおるたびに、企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」』にて展示されている、伊丹さんが愛用していた包丁を羨ましく眺めております。

あまり手の込んだ料理を作ることはないのですが、やっぱり良い包丁が欲しい今日この頃です。

 

s-IMG_8568.jpg伊丹さんが愛用していた包丁

こちらも企画展示室でご覧いただけます

 

学芸員:橘

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2026.06.15 『ポテト・ブック』販売再開!

書店などで目にされた方もおられるかもしれませんが、このたび書籍『ポテト・ブック』の販売が再開されました!

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『ポテト・ブック』(河出書房新社)/税込3,190円

『ポテト・ブック』(マーナ・デイヴィス著)は、元はアメリカのベストセラーで、伊丹さんが翻訳を手掛けた本です。日本では1976年にブックマン社より出版されました。

その後絶版となっていましたが2014年11月に復刊され、記念館のショップでも取り扱っていました。在庫がなくなりしばらく販売はお休みしていましたが、この度嬉しくも再刊され、ショップでもう一度、皆さまにお手に取っていただけるようになりました!

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ショップにて

改めてどんな本かといいますと、目次に「ポテト・パワー」「ポテト入門」「レセピー」「ポテト工芸」「ポテト・ゲイム」「健康と美容に関する言い伝え」「ポテト小辞典」「ポテト・ドゥ・テール」――とあるように、ポテトにはじまりポテトに終わる、ポテトづくしの一冊です。

 

「レセピー」には、スープやサラダ、ベイクド・ポテトやポテトのお菓子などポテト料理のレシピが掲載。ちなみに伊丹さんは、訳しながら片っ端から作ってみたそうですよ。

 

料理だけにとどまらず、ポテトの歴史やポテトを使ったゲーム、ポテトの健康と美容に関する話なども載っています。多くのイラストレーターの方々によるユーモラスなイラストも楽しめますし、ブックデザインを手掛けた矢吹申彦さんの復刊エッセイも必読です。
料理本かと思えばそれだけはない、内容が盛りだくさんの本なのです!

 

伊丹さんは、「訳者まえがき」で『ポテト・ブック』についてこのように言っています。

 

私はこの「ポテト・ブック」決してただの料理の本とは思ってないんです。いわば、アメリカ文化そのものが、自分の家の台所に出現した、というふうに感じるわけなんですね。この本自体が、私にとってはアメリカの旅なんです。(訳者まえがきより)

 

伊丹さんの洒脱な訳文を楽しみながら、ポテトのみならずアメリカ文化も味わってみてください。
ショップ店頭で販売中ですので、ご来館の際はぜひどうぞ。


スタッフ:山岡

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