記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2015.06.01 伊丹十三記念館がこの場所にある理由

記念館便りをご覧の皆さまこんにちは。

開館から8周年を迎えた伊丹十三記念館ですが、ご来館のお客様から頂くご質問の中に「どうしてこの場所に伊丹十三さんの記念館が建っているのですか?」とか「ここで生まれたのですか?生前この場所に住んでいたのですか?」とか「記念館ができる前はここは何だったのですか?」などという、この土地と伊丹さんの繋がりについて尋ねられるものが多くあります。


まず第一に伊丹さんの両親の出身は松山ですが、伊丹さん自身の生まれは京都で、高校時代、松山にも数年間住んでいたことがありますがこの場所ではありません。そして、記念館ができる前この場所は「一六タルト」で有名な株式会社一六本舗の社員駐車場でした。
ではなぜこの「一六」の土地であったこの場所に伊丹十三記念館があるのかということをご説明させて頂きます。


まず、一六と伊丹さんの関係ですが、松山では「一六」と言えば「伊丹十三」を思い浮かべる人が多いのではないかと思います。それは伊丹さんが一六タルトのCMに出演しており、そのCMが一度見ると忘れられない、大変インパクトの強いものであったからというのが大きな理由です。この一六タルトのCMを、一六本舗の現社長である玉置泰さんが伊丹さんに依頼したことで、一六と伊丹さんとの付き合いがはじまりました。玉置さんはその後伊丹映画を製作する「伊丹プロダクション」の社長を務めることとなり、伊丹十三記念館を運営する当財団「公益財団法人ITM伊丹記念財団」の理事長も務めることとなりました。


さて、この玉置さんと伊丹さんの関係で、誤った情報がいくつかあります。「一六の社長と伊丹さんは高校の同級生」とか「一六の社長と伊丹さんは親戚」というものです。現在でもご来館のお客様にそのように尋ねられることもあります。松山の人々にとって「一六」と「伊丹さん」との関係の始まりが、ビジネスであったというのは信じられないほど、両者の繋がりに強い印象を感じている人が多い証拠ではないかと思っています。


ところで、どうしてこの一六本舗の社員駐車場だった場所に伊丹十三記念館を作ることになったかということですが、伊丹さんご自身が生前、お父さんである伊丹万作さんの記念館をこの場所に建てたいということをおっしゃっていたからなのだそうです。


かなり端折ってご説明させて頂きましたが、詳しいことは「伊丹十三の映画」(新潮社2007年発行)という本の中で玉置さんがご紹介下さっていますので、興味のある方には是非おすすめ致します。


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画像:左が「伊丹十三の本」、右が「伊丹十三の映画」ともに新潮社から出版されています。】 

 

スタッフ:川又