記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2018.06.04 第10回伊丹十三賞の贈呈式を開催いたしました!

5月24日(木)、第10回伊丹十三賞を磯田道史さんにお贈りする贈呈式を、東京の国際文化会館で開催いたしました。

受賞者磯田さんのご関係者さま、歴代受賞者・伊丹さんゆかりの方々・当財団の関係者の皆さま、あわせて約80名様にお集まりいただきました。

式典は、祝辞・正賞の贈呈・副賞の贈呈・受賞者スピーチ・館長挨拶の順に行われました。今回は、その模様をお届けいたします。

-----------



選考委員・中村好文さんの祝辞(一部抜粋)


" 磯田道史さん、このたびは、第10回「伊丹十三賞」受賞、おめでとうございます。
10回目という節目にあたる「伊丹十三賞」を磯田さんにお贈りすることになったとき、ぼくは、第1回目の糸井重里さんから、第9回目の星野源さんまでの歴代の受賞者の方々を、ひとりひとり、頭に思い浮かべてみました。
そして、そのあとに10人目の磯田道史さんに並んでもらって、10人のラインナップをあらためて想像してみたのですが、そうしてみると、「伊丹十三賞」は、今回、歴史学者の磯田さんが加わったことで、賞の「間口」が大きくひろがったように感じられました。また、その「奥行き」が、1歩も2歩も深まったように思いました。

そういう意味でも、今回は、まことにふさわしい方に「伊丹十三賞」を贈ることができたと、喜ばしく思っています。
「選考委員の自画自賛」と言われそうなので大声では言えませんが‥‥内心では‥‥「選考委員はよくやった!」「選考委員はえらかった!」と、ひそかに思っている次第です。"


080604_01.jpg選考委員・中村好文さん


――続けて中村さんは、磯田さんを密着取材したドキュメンタリー番組をご覧になったときのことを、お話しくださいました。


"この番組で、ぼくには忘れられないシーンがふたつあります。
ひとつは、用水沿いの小道を歩いていた磯田さんが、歩きながら、ふと、用水の底に落ちていた土器のかけらのようなモノを「目ざとく」見つけ、やにわにワイシャツの腕まくりをして道路に這いつくばり、用水の流れの中に手を突っ込んでその土器のようなモノを拾い上げるシーンでした。
その「目ざとさ」と、間髪を入れない「行動力」に、ぼくは目を瞠ったのでした。そして、その、人目をはばからず、脇目もふらない行動は、子供のように純真で、むき出しの「好奇心」と「探究心」に裏打ちされていると思いました。

もうひとつは、タクシーに乗った磯田さんが、これまた「目ざとく」運転手さんの珍しい名前に気づき、あれこれお喋りしているうちに、
「ああ、そうすると、小学校は何々小学校ですね?」と、その運転手さんの卒業した小学校の名前を言い当てるシーンでした。(場内笑い)

このシーンを観ていて、ぼくは思わず‥‥
「そうか、つまり、磯田さんは シャーロック・ホームズ なんだ!」
とつぶやいて、妙に納得してしまいました。
なぜ、シャーロック・ホームズなんかが頭に浮かんだかというと、シャーロック・ホームズの「緋色の研究」という作品の中に、ホームズが相棒のワトソン博士に向かって‥‥
「ぼくは、観察と推理の両方の天分に恵まれているんだよ‥‥」
と、話すくだりがあったことを、突然、思い出したからでした。

そして、たったいまご紹介したふたつのエピソードは、磯田さんが「観察と推理の両方の天分に恵まれている」ことを、はっきり物語っていると思ったのです。
さらには「観察と推理」こそが、歴史学者に不可欠な資質であることに思い至りました。
結局、ぼくの中では、このふたつのエピソードが、磯田さんを「伊丹十三賞」に推挙する大きな「決め手」となりました。"


――最後に中村さんは、「悔やまれること」として次のようにお話しなさり、祝辞を結んでくださいました。


"ここにいらっしゃる皆さんの中の、どれくらいの方々がご存知かはわかりませんが、伊丹十三は映画監督になる前の1970年代に、テレビで数多くの優れたドキュメンタリー番組を手掛けています。
なかでも「天皇の世紀」や「古代への旅」という歴史物は、歴史を過去のものとしてうしろ向きに解釈するのでなく、現在の問題として蘇らせる独自の視点と、独特のトーンを合わせ持った、すこぶる面白い、それこそ「目からウロコの落ちる」画期的な番組でした。

もし、1970年代のあのころに磯田さんがタイムスリップしていたら、伊丹十三は磯田さんのような歴史学者を決して「放っておかなかった」と思うのです。
そして、もし、この2人がコンビを組んでいたら、おそらく日本のドキュメンタリー史に残る、数多くの歴史物のドキュメンタリー作品が生まれていたにちがいありません。
さらに、この「名コンビ」なら、愉快な趣向を満載した、娯楽的で、刺激的で、独創的で‥‥、それでいて、人々の興味をかき立て、感動させずにはおかない深い内容をもった本が出版され、映画が製作されていたと思うのです。
このことを考えると、つくづく悔やまれてなりません。

せめて磯田さんに、ときどきは「伊丹十三とのコンビから生まれたであろう幻の作品」について思いを馳せていただき、これからの研究と活動を続けていただけますよう「お願い」して、ぼくのスピーチをしめくくりたいと思います。

磯田道史さん! このたびは「伊丹十三賞」受賞、ほんとうにおめでとうございます。心よりお祝い申しあげます。"



選考委員・平松洋子さんより正賞(盾)の贈呈

080604_02.jpg選考委員・平松洋子さんより贈呈
 
080604_03.JPG正賞の盾


宮本館長より副賞(100万円)の贈呈


080604_04.jpg伊丹十三記念館・宮本信子館長より贈呈



受賞者・磯田道史さんのスピーチ


080604_05.jpg受賞者・磯田道史さん


"この度は、第10回の伊丹十三賞をいただきまして、ありがとうございます。
また選考委員の皆さま、今日来てくださった各界の皆さま、記者の皆さま、御礼申しあげます。

わたし、この賞をもらって、ほんとうにうれしいのです。
うれしい理由はなぜだろうと思ってみると、この賞はあまり分野の壁が無い方に贈られている。
私は歴史しかしていないようですけれども、媒体はテレビだったり活字だったり新聞であったり、また、狂言を書いて国立能楽堂で上演してみたり。「いろんなことをやる」というのが、非常に大事だと思っています。
むかし、岡本太郎さんが、「あなたは画家をやっていて、小説も書いて、彫刻も作って、いったい何が専門なの?」と言われたときに、平然と「人間」と答えたというエピソードがありますが、それがいちばん健全なあり方だという考えを、わたしは持っています。

そして、昨今のいろいろな問題は、「ボーダーレス」ということで我々の社会を考えてみたら、わかりやすく解決できるんじゃないかと感じるようになりました。

なぜかというと、ネット社会になって、即時に物事を知ることができるようになったにも関わらず、ぼくらの社会、特に日本社会は、「ウチの論理」で間違える。あと、「上に逆らえぬ空気の支配」がある。
ほんとうはみんな、「これはやばいんじゃないかな」と思っていても、上の人が命令すると従ってしまう「同調圧力の恐ろしさ」というようなものを、ぼくらは見ている。

ただ、これを批判するだけでは何の解決にもならない。
ぼくらはいつからこうなっているのか?と思うんだけど、実はぼく、それを子供のころ考えたんですよ。古墳を歩きながら。(場内笑い)"


080604_06.jpg身振り手振りを交えてお話しなさる磯田さん


――ここで磯田さんは、取材に来ているマスコミの皆さんの中に愛媛の記者がいることを確認してから、こう続けられました。


" 必ず(伊丹十三記念館のある)愛媛に(受賞記念)講演にいきますから!(場内拍手)。
愛媛に上黒岩岩陰という遺跡があって、ぼく、小学生のときに、「どうしてもそこへ行きたい」と親にねだったんです。
なぜかというと、そこは縄文時代の遺跡で、犬の骨が出土しているんです。ぼくも犬を飼っていたんですが、そこは、飼っていた犬を丁寧に葬っている遺跡だと聞いたんです。人間が、違う種類の動物である犬をかわいがっている最古の状態に、子どもながらにすごく感じるものがあって、「その出土状況はどうか?」と。考古少年なので。
最近の分析によると、その犬は老齢で、もう役に立たないのに飼っていたというんですよね。
縄文の人たちの遺跡は、宗教的理由で周りに堀を掘っているものがあるにしても、そんなに上下の差はないんです。

ところが、あるときから周りにがっちりした堀を掘って土を盛り上げ、その上に首長だけが葬られ、結界がなされ、ウチとソトがはっきり分けられて、身分の上下がはっきりするんです。
元をたどると、渡来系の方形周溝墓が九州の糸島あたりにまずできる。それらを見て、「あなたとは違うんです」という感じを、ぼくは受けたんです。
つまり、渡来系の国家を形成するような論理が古代にやってきて、壁ができたんだと思うんです。それは、必ずしも悪い事ばかりではないです。
なぜ人間が「あなたとは違う」になるかというと、生き物には生存本能があって、生活資源を周りと競争するから。たとえば美味しい飯があったら、「俺が食いたい、他のやつが食ったら悲しい」。いい女やいい男がいたら、「私のものにしたい、とられたら悲しい」。それはありますよ。

でも、それがだんだん恐ろしいことになると、動物・いぬねこには見えない国境線をひいて、向こうに住んでいる国民とこちらに住んでいる国民が敵になったら、平気で核兵器を落とすわけですよね。
ぼくは考古学から物質文明を見ているので、その恐ろしさがよくわかるんです。

これを避けるにはどうしたらいいかというと、やっぱりボーダーレス。
つまり、壁を打ち破る。ウチを打ち破るというのかな。「あなたは専門だから」とか、そういうのは違う。本来、「人間」がいるのだと。
国境線とか、分野とか、上とか下とかいうものは幻想にすぎないんだということに、いまいちど戻るためにはどうしたらいいかというと、時空を超えた認識であるとか、自他の区別をなくすような発想というのが重要で、経済や権力の論理ではなくて、創作活動や表現活動による人間の感動こそが、それを支えているのであろうと、ぼくは、歴史を長いこと見ていて思う。

――ということで、なんとなく説教くさく、もっともらしい話にして終わりにしたいんですが......とにかく、愛媛には講演に行きますので!(場内笑い)
「松山とぼく」みたいな話を。大学時代に秋山真之とか調べはじめたら......ごめんなさい、もうやめますからね(場内笑い)。
たとえば秋山真之が戦争から帰って、松山中学の後輩たちにどういう講演をしたのか、「この人は頭の中で何を考えたのか」そういうことを探したくて、その講演録を探しに松山に行ったりしたので、そんな話を、ぜひさせていただければと思います。
ありがとうございました。"



宮本館長あいさつ


080604_07.jpg式典前の控室での様子をお話しする宮本館長


" 磯田さん、ほんとうにおめでとうございます。ご受賞ありがとうございました。
ほんとうに力強く、一生懸命、キラキラとお話しをされるお姿を間近で拝見いたしました。
さっきも控室で遺跡の犬の話が出たんです。そのお話をずっと聞きたかったんですけど、時間もあるからどうしましょうとなったら、「松山に行きます」とすぐ決めてくださった。「ほんとうに磯田さんはせっかちなんですね」って言ったら、「ものすごいんです」っておっしゃって(場内笑い)。すごく私はうれしかったです。
本当に、ありがとうございました。"


080604_08.jpg式典後に皆様で撮影
左から、選考委員・周防正行さん、宮本信子館長、受賞者・磯田道史さん、
選考委員・中村好文さん、南伸坊さん、平松洋子さん


-----------



以上、贈呈式の様子をご紹介させていただきました。
この後は集合写真を撮影し、引き続き、なごやかに祝賀パーティーが行われました。


080604_09_Ver2.jpg毎年恒例、庭園での集合写真


磯田さん、ご出席くださった全てのみなさま、誠にありがとうございました。厚く御礼申しあげます。

さて!磯田さんが受賞者スピーチで宣言してくださった通り、ぜひ松山で、受賞記念講演を開催させていただきたく存じております。
詳細がまとまりましたら当サイトでお知らせさせていただきますので、皆さま楽しみにお待ちくださいませ。

これからも、伊丹十三賞を、どうぞよろしくお願いいたします!


-----------


このレポートのお写真(盾の写真をのぞく)は、
撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい
撮影協力:ほぼ日刊イトイ新聞乗組員のみなさん
です。ご協力、誠にありがとうございました。


スタッフ:淺野