記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2014.09.08 イチゾーとジューゾー

今度、10月に出るある雑誌に拙文を載せていただくことになりまして、ゲラチェック、なるものをいたしました。
校正用に送られてきたゲラで自分の文章を確認するのは初めてではないのですが、今回、書いた内容とは全然関係のないところでとても驚いたことがあります。

自分の名前、なんて四角いんだろう!!

 

ということです。

DSC_1237.JPGのサムネイル画像フォントのせいもあるのかなぁ、とは思いますけどネ......
こうして眺めてみると、石に彫刻刀で彫るのに最適な名前、って感じ!!

名は体をあらわす、と言いますけれども、たしかに、自分の周りの人々は、それぞれの名前に合った雰囲気を持っている感じがします。ということは、私を知る人たちは「いかにも中野靖子っぽい」と思っているのでしょうか? だとしたら、どういう点でそう思っているのでしょうか? この角ばった字面のことでそう思っているということでしょうか......?

実は、このことは以前から気になっていて、友人に尋ねたことがあります。
何の気兼ねもいらないお酒の席だったにもかかわらず、友人は、何かひどく言いづらそうに「まぁ、うん、四角いっていうか、あー、鋭角的ではあるよね」と答えてくれました......それは「四角い」以上にキツいのでは......

さて。
伊丹さんといえば、「伊丹十三」「イタミジューゾー」「ITAMI JUZO」。
字面も響きも本人と名前がピターっと一致していて、他の名前は考えられないほどですが、これ、自分でつけた「芸名」なんですね。正確に言えば、「自分で改名した芸名」なのです。

1960年、俳優デビューするときに、所属映画会社・大映の永田雅一社長からもらった名前は「伊丹一三(いたみいちぞう)」。それを1967年に「十三」にしたわけです。
「マイナス(-・一)」を「プラス(+・十)」に転じるための改名だったと言われていますが、「そんな洒落みたいな理由だけで改名する人だろうか。本当はもっと別の意図がありそう」と、いささか疑問に思ってきました。
そんな私の念がやっと天に通じたと見え、図書館で思いがけず行き当った雑誌記事でもう少し詳しい事情が分かりました。

『現代』1967年6月特別号での遠藤周作さんとの対談によると、

  • 自分には内向的なところがあるから、もう少し積極的に生きぬいてやろうと思って「一」より強そうな「十」に(姓名判断などではなく)自分の意志で変えた。
  • 男に繊細な名前はいけない、「一三」は親しみにくい。
  • 内向的な雰囲気があると、直情径行な人間の役、一本気な男の役がくるときに困る。

ということだったのだそうです。ナルホド。

DSC_1235.JPGのサムネイル画像左:ポケット文春版の『ヨーロッパ退屈日記』(1965年)
右:B6判の『ヨーロッパ退屈日記』(1974年)
同じ著書、当然同じ著者なのに、並べて見ると雰囲気はだいぶ違って見えます。

たとえば、ごく若い頃の伊丹さんが出演していた映画を観ると、スマートでいてちょっと神経質そうな響きの「イチゾー」は、それはそれで当時の伊丹さんには似合っていたと感じますが、看板を掛けかえることによって自分で自分を「ジューゾー」に変えていったのですね。自己プロデュースだったんだ、納得しました。

で、翻ってみるに自分の名前。
戸籍上の本名ですからそうそう変えられませんし、たまに「やたらと四角いなぁ」と思うだけで変えたいわけではないのですが、「丸っこい名前に変えていいですよ、お好きにどうぞ」と言われたとして、それで自分をどういうふうに方向づけたいか、という伊丹さんのようなビジョンもないんですよね。自分の名前を考えるのって、なかなか難しそうです。


ま、つけてもらった名前でも自分で考えた名前でも、マジメに一生懸命生きて、「いい名だ、なぜなら人物がいいからだ」って思われるようになるのが一番かな、と。おっと、ハードルを上げ過ぎて、雲より高い棒高跳びになってしまいました......修業、修業。

学芸員:中野