記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2014.02.10 オリンピックイヤーと伊丹映画

ソチオリンピックが始まりました。
「ちょっとがんばって起きたままでいれば見られる」という程度の時差のおかげで、連日寝不足の方も多いかと思います。

オリンピックのたびに、テレビ番組や家族・友人との会話で「○○オリンピックのときは△△選手が~」と話題になったり、「あのときは●歳で●年生で~」とか「あの頃世間ではこんな出来事が~」とか、いろいろな記憶を反芻する機会ができたりもしますね。
年若い人に「えっ、カール・ルイス知らないの? 原田さんの『ふなきぃぃぃ~』も知らないの? そうかぁ~」などと驚いてみせながら、年齢を重ねて名選手や名勝負を語れる優越感にちょっとひたったりもしますよね。(あれ? 私だけでしょうか?)

話がそれてしまいましたが、オリンピックというのは、大会そのもの、競技そのものだけでなく、ごく私的なことや世相とセットになって記憶にしまわれるもののようです。映画にもそういうところがありますね。

それでフと気になったものですから、オリンピックイヤーの伊丹十三監督作品について書き出してみました。


ososhiki.jpg伊丹さんの監督デビュー作は
サラエヴォ五輪・ロサンゼルス五輪と"同い年"

1984年
<五輪>
 第14回冬季五輪 サラエヴォ(ユーゴスラビア)
 第23回夏季五輪 ロサンゼルス(アメリカ)
<伊丹映画>
 『お葬式』で監督デビュー。8月湯布院映画祭出品、11月公開。

1988年
<五輪>
 第15回冬季五輪 カルガリー(カナダ)
 第24回夏季五輪 ソウル(韓国)
<伊丹映画>
 1月『マルサの女2』公開。
 2月『マルサの女』日本アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞・脚本賞など受賞。

1992年
<五輪>
 第16回冬季五輪 アルベールヴィル(フランス)
 第25回夏季五輪 バルセロナ(スペイン)
<伊丹映画>
 5月『ミンボーの女』公開。

1994年
<五輪>
 第17回冬季五輪 リレハンメル(ノルウェー)

1996年
<五輪>
 第26回夏季五輪 アトランタ(アメリカ)
<伊丹映画>
 6月『スーパーの女』公開。

近代オリンピックは1984年のロサンゼルス大会から商業主義に大きく舵を切って、スポンサー料など莫大なお金の動くショービジネスになった、と言われています。
報道を通して正体不明の愛国心やグローバリズムを目くらまし的に植えつけられているような気持ちになったりするのも、この商業化・大規模化の延長にあることのような気がします。

そのようなオリンピックの激変の年に監督デビューして、エンタテインメント性で多くの観客を惹きつけながら、日本人論をテーマとする映画を作り続けたことに、あらためて伊丹十三の功績を思い、「うーむ」と唸らずにはいられません。

(実際のところの伊丹さんは...たとえば1984年、サラエヴォ大会期間中は『お葬式』の準備稿台本を刷って制作資金集めに奔走していた頃で、ロサンゼルス大会期間には『お葬式』の編集作業を終えて録音・ダビングにかかりきりだったので、オリンピックに目をくれる暇もなかっただろうとは思うのですが...)

ところで、リレハンメル大会が開催された1994年は、『大病人』と『静かな生活』の間の年で、監督作品を発表していません。が、1989年にロサンゼルスに設立したITAMI FILMSを拠点にハリウッドでの映画作りの準備中だったため(残念ながら実現にはいたりませんでしたが)、なかなかに忙しかったようです。
そうした中、伊丹さんはある目的のために愛媛を訪れていました。その時に手に入れた砥部焼を企画展に展示しています。


syunju.JPG
1994年来県の「ある目的」、「その時に手に入れた砥部焼」には、実に伊丹さんらしいエピソードがあるのです。それについては、展示解説でご説明しているのですが、次回ここで詳しくお話しすることにいたしましょう。

それでは、寒さと睡眠不足でお風邪など召されませんよう、どなた様もくれぐれもご自愛ください。

学芸員:中野