記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2013.03.11 『朱欒』より批評欄(1)

企画展に展示中の回覧雑誌『朱欒』の入れ替えを行いました。
お出ししていた1、3、5、6、9号から、2、4、7、8号の展示に替わりました。
それぞれの号でご紹介している掲載作品は以下のとおりです。

<現在展示中の『朱欒』>
 第2号(大正14年11月) 随筆/伊丹万作
 第4号(大正14年12月) 批評欄/伊丹万作
 第7号(大正15年3月) 戯曲「女の部屋」/伊丹万作
 第8号(大正15年4月) 扉絵/重松鶴之助

"批評欄"というのがありますね。これは何かと言いますと、完成した号を回覧したときに、他の同人の作品への感想をおのおの書き込んだものなのです。
『朱欒』は、「各自の作品を編集日に持ち寄って一冊に綴る」という方法で作られた同人誌でして、綴り合わせるときに、白紙の原稿用紙を何枚か巻末に入れておくわけです。

syuran4_hihyou.JPG『朱欒』が自分のところに回ってきたらそこに批評を書き込んで、次の人に渡す......と。この批評欄は全9号のうち、7つの号に設けられました。

現在の展示では、第4号の批評欄から、伊丹万作(池内義豊)が書いた箇所を取り上げています。批評欄はどこもかしこも面白いので決めるのに悩みましたが、「自分の作品に対する他の同人からの批評に対する批評」の部分が興味深く感じられて、ここを選びました。

syuran4_hiyou_mansaku.JPG 
ちょっと読んでみましょうか。

 中村清一郎(←池内義豊から中村清一郎への批評、ということです)
此の人の批評の態度には何時も感心して居る。いいもの、悪いものを見判ける眼力が實に冴へて居る。そして思った通り正直に述べるのも快い。下らない皮肉等を言はないところが身上で有らふ。そして、丁寧によく読むで居る。自分等其の点批評者としての資格が無いと言っていい。此の人の眼をゴマ化す事は一寸容易で無い。将来批評家として立っても成功するだらふと思ふ。
※中村清一郎...のちの俳人・中村草田男氏の本名。松山中学校の万作の後輩で、朱欒同人。

第4号では挿絵5点と詩2編を発表した万作でしたが、特に詩のほうが同人たちに不評だったようで、批評欄でコテンパンに書かれてしまいました。例えば、「此の人」すなわち中村草田男が万作の詩をどう評したかと言いますと......

これは又、自己流なガムシャラな説明の言葉が多すぎて、詩としては美がかけて居る。詩語が粗雑だ。何よりも随筆趣味が過分だから、それが、火鉢を中心にしての談話であるのなら、たいがい「ほうよ」と思ふのだが、「詩」となって出てこられると、ちょっとこまるのである。

「美が欠けている」、「詩ではない」と、根本的なところでバッサリやられています。(これは痛い!)それでも万作には納得のゆく言葉であったようで、「この人の批評態度にはいつも感心している」、「将来批評家として立っても成功するだろう」と。ちょっと嬉しそうでさえありますよね。

批評欄には、賛辞も酷評もありますし、自分の作品への批判を受けての反論(時にはかなりケンカ腰の)なんていうのも見られますが、基本的には、仲間内の気さくさ、忌憚のなさ、同人ひとりひとりの個性が"主成分"で、そこへ、同人への励ましや、ちょっと背伸びしたいらしい若人らしさなんていうものが入り混じっています。そんな批評欄を読むと「そうか、彼らはこれがしたいがために『朱欒』を創刊したのにちがいない」と思えてきます。創作意欲をぶつける場、発表の場っていうだけではなくて、仲間と気兼ねなく語り合うための場が欲しかったのではないかな、と。そのぐらい、楽しそうに見えるのです。

syuran4_hihyou_exhibition.JPGそういうわけで、企画展終了までの間に、批評欄もなるべくたくさんお目にかけたいと思っています。いやぁ、ホント、批評欄、イイんですよ!
 
学芸員:中野