記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2011.08.29 親子について考えてみました

  はじめまして8月から勤務することになりましたスタッフの井川です。少しでも記念館のことを知っていただけたらと願いながらわたくしが日頃見て感じたことを記していきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 今は学生さんは夏休みですね。夏休みも終わりが近づいているのではと思います。
夏休みは子供さんがお父さんやお母さんと普段よりも長く過ごせる時間ですね。そこで今回は「父と子」の企画展示についてお話します。
現在、記念館では「父と子ー伊丹十三が語る伊丹万作の人と仕事ー」という企画展示をしています。父である万作は肺結核にかかり十三が13歳の時に亡くなりました。伝染病であったので十三と接触する機会も少なかったそうです。十三が反抗期に万作が亡くなり万作のことを和解できないまま来てしまったと十三は言っていたことがあります。けれど時がたつにつれて十三は万作のことを少しずつ理解するようになりました。そのことが『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』の本にも書かれています。
 

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   先日テレビで「無法松の一生」という映画を見た。この映画の脚本を書いたのは、私の父、伊丹万作である。この映画を見るのは二度目であった。この映画が封切られた昭和十八年、小学校四年生だった私は母に連れられて映画館でこれを見ている。(中略)
 以来、三十四年。
 再び、同じ作品をテレビで見て思ったことは、少年時代の私の感想が、ことごとく正鵠(せいこく)
を射ていた、ということである。(中略)
 と−
 いうようなこととは全然別に、私はこの映画を見て、いつしか坐り直していた。突然私は悟ったのである。「この映画は父の私に宛てた手紙だったのだ!」それがいきなり判ってしまった。
 父は私が三歳の頃結核に斃れ(たおれ)、以来、敗戦直後、死ぬまで病床にあった。父の最大の心残りは、息子の私であったろうと、今にして思う。自ら育てようにも、結核は伝染病である。子供を近づけることすら自制せねばならぬ。かといって自ら遠ざかるうち、子供は、あらまほしき状態から次第に逸脱してゆく。このじれったさはどんなものであたろう。
 時時、それでもたまりかねて、父が私を呼ぶ。叱責するためである。
「意志が弱い」

IMG_3166.jpg  「集中力がない」
「気が弱い」
「今季がない」
「グズである」
「ハキハキせよ」
「オッチョコチョイ」
「調子に乗るな」
「計画性がない」
「注意力が散漫である」
 その父が、思いのすべてを托せる物語に出会った。「無
法松の一生」である。
 一人の軍人が病死し、あとに美しい未亡人と幼い息子が残される。息子は、気が弱い。意志が弱い。グズである。ハキハキしない。注意力散漫である。
 この息子に、男らしさを、勇気を、意志の強さを、喧嘩の仕方を教えてくれるのが松五郎であった。松五郎こそ、父の私に対する夢でなくしてなんであったろう。
(中略)
ああ、私もそろそろ、父が「無法松の一生」を書いた年齢にさしかかっている。

『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』166ページから169ページ引用

当時は気づかなかった父の気持ちですが自分がその父親の歳になってからはじめて気づくこともあるんだなと深々と考えました。そして父親を早くに亡くしてしまったからより強く父親に魅かれるその気持ちに共感しました。
「父と子」の企画展示を見て外に出ると中庭と長い椅子があります。中庭には大きな桂の木1本があります。中庭を見ながらゆっくり座っていただける場所となっています。もうすぐ9月です。心地よい気候と風が吹く時期になります。家での親子の団らんも楽しいですが、記念館の中庭で親子肩を並べて座り、穏やかな風にあたりながらのんびりした時間を過ごしてみるともしかしたら家とは違う会話が生まれるかもしれません。記念館で日常とはちょっと違う「何か」を感じていただけたら嬉しいです。

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スタッフ:井川