記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2010.06.28 清々しき老化

brush.JPG昨日書いたばかりと思っていた記念館だよりの当番が、早くもまわってきました。本当に、昨日書いたばかりのような気がしているのに、実際には5週間も前のことなんですね。
年を取ると月日が経つのが早くなる、「光陰矢のごとし」とはいいますが、20代では分からない感覚だったのだなぁ、と感じます。

三十路に分け入って2年と10ヶ月。時間の経過の体感速度が加速するにつれ、身体の老化も加速してきました。
脳のインプットもアウトプットも衰え、夕方になると細かい字が読みづらく、少し歩いたり重いものを持ったりすると疲労困憊のうえ筋肉痛になり、走れば膝が痛み、夜中に脚が攣って目が覚め、傷痕の治りが悪く、休日は鏡の前で白髪掃討作戦に時間を費やし、手入れをしてもシミ・シワは消えずかかとは硬く—

あまりにも当然すぎるこれらの老化現象、わが身に起こると予想していなかったわけではないのですが、何せあっという間に押し寄せてきたので受け止め切れず、明日にはオバアさんになっているのではないかとさえ思い、以前は訳知りにも「早くオバちゃんになりたい」などと言っていたこの口で「40歳になったら隠遁する!」などと宣言して周囲を困惑させてしまいました。

恥をしのんで一例を告白いたしますと、今までは、ドラッグストアの棚に軽石が何種類も並んでいるのを見かけても「軽石って、そんなに需要があるものなの?こすっても別に何も出ないじゃん」なんて思っていたのです。...すみません、全国の軽石愛好者のみなさんにお詫び申しあげたいほど、自分の無知を悔いています。もう、何を塗っても私のかかとはやわらかくならないと気づいた途端、あんなに軽んじていた軽石コーナーに熱視線を注ぎ、かかとの硬くなっていない同世代の人を妬ましく思うようになりました。でも、軽石を買ってしまうと、自分の老化を認めてしまうようで素直に手に取ることができない、というのもまた乙女心でありまして...

我がかかとを眺めてはひそかにため息をついていた日々、ある老化現象についての体験を伊丹さんがエッセイに綴っていたのを思い出し、『再び女たちよ!』を開きました。

(時は1970年代半ば。ロンドン滞在中、バスタブの水面や寝起きの枕に尋常でない抜け毛を発見した伊丹さん。育毛剤を試してみても効果を感じられないまま帰国します—)

 ロンドンから冬の東京に帰ってきたとき、私は、およそ出発前の毛量の三分の一を失っていたろう。
 薄ら寒い頭で街へ出る。
 嘗て、五月蠅いほど頭髪が茂っていた頃、私は中年以上の人は、ほとんど誰でも髪が薄くなっているものだとばかり思いこんでいた。
 今、愁いを心に抱いて巷を彷徨えば、髪の薄い人、禿げた人の数は驚くほど少ないのである。何百人に一人という感じである。世の中の人間の大部分は、図図しいほどふさふさと髪を繁茂させているのである。
 こんな筈ではなかった!
 (中略)
 蹌踉として街を徘徊えば、無辺の落毛は蕭蕭(しょうしょう)として下り、そうして、目につく人間どもの、なんといやらしく黒黒と髪を生い茂らせていることか。
タクシーの運転手も、役場の書記も、地下鉄の入口へ吸い込まれてゆくサラリーマンのあの頭もこの頭も、食堂で隣に坐ってラーメンを啜り込んでいた男も、そのテレビの中に映っていた中年の司会者も、だれもかれも、髪なんかのことで悩んだことなど一度もないような顔つきで頭をふさふささせているではないか。(『再び女たちよ!』「脱毛」より)

futatabi.JPG以前からお気に入りのエッセイのひとつではありましたが、この妄執、嫉妬、孤独感に深々と共感する日が来ようとは...

老化への対処法を語ってもユーモアに富む伊丹エッセイを再読し、ついに自分の老化を認めようと思いました。かかと用のヤスリを購入した今、何だか清々しい気分です。

写真上:ブラシのイラストは常設展示室で / 写真下:老化を語っても痛快なエッセイ集『再び女たちよ!』はグッズショップまたはオンラインショップで

 

学芸員:中野