記念館の展示・建物 ― 常設展
展示(4)「俳優」
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「俳優」1960年、27歳の伊丹十三は俳優として大映に入社します。翌年、市川崑監督『黒い十人の女』への出演を最後に大映を退社し、ニコラス・レイ監督の『北京の55日』への出演のためヨーロッパへ旅立ちます。続けてリチャード・ブルックス監督の『ロード・ジム』にも出演、流暢な英語を話す日本人俳優として注目を浴びました。
 『ロード・ジム』では『アラビアのロレンス』を主演したばかりのピーター・オトゥールとの共演がきっかけで交遊を深め、舞台俳優の個性的な人生観に少なからぬ影響を受けました。
 帰国後はふたたび日本映画に復帰、蔵原惟繕、大島渚、加藤泰、若松孝二、新藤兼人、恩地日出夫、東陽一、吉村公三郎、藤田敏八、黒木和雄、降旗康男、森田芳光、野村芳太郎、寺山修司……といった監督の作品に出演、他の俳優とは一線を画した演技が光りました。五十歳の年に出演した『細雪』『家族ゲーム』『居酒屋兆治』での演技は俳優・伊丹十三の到達点だったといえるでしょう。
 テレビドラマへの出演では『ロード・ジム』と同年に放映された『源氏物語』(市川崑ほか演出)の光源氏役、NHKドラマ『峠の群像』の吉良上野介役などが、伊丹十三らしさの光る当たり役でした。

26歳でデビュー

 1960年、26歳のときに大映から「伊丹一三」の名前でデビューしました。名づけたのは大映社長の永田雅一。
 この写真はニューフェイスとして売り出し中の頃に撮影されたもの。写真の裏には「ギターを抱えた渡り鳥」と書かれていて、小林旭を意識した茶目っ気のあるポーズをとっています。

26歳でデビュー

海外作品への出演

 伊丹十三は1963年、『理由なき反抗』等の監督として有名なニコラス・レイがメガホンを取った『北京の55日』に、日本軍将校役として出演しました。
 ロケ地イギリスで共演者チャールトン・へストンらと交流し、そのときの出来事は雑誌『洋酒天国』に「ヨーロッパ退屈日記」のタイトルで連載されました。これが、エッセイスト伊丹十三の出発点となったのです。

海外作品への出演