伊丹十三賞 ― 第8回受賞記念 是枝裕和×今野勉 対談採録

第8回「伊丹十三賞」受賞記念
是枝裕和×今野勉対談「伊丹十三とテレビ」採録(3)

2017年4月8日/伊丹十三記念館 カフェ・タンポポ
登壇者:是枝裕和氏(第8回伊丹十三賞受賞者/映画監督・テレビディレクター)
     今野勉氏(テレビ演出家・脚本家)
ご案内:宮本信子館長

是枝 僕は『遠くへ行きたい』の「伊丹十三の天が近い村〜伊那谷の冬〜」の回が大好きなんです。伊丹さんのナレーションや随所で出てくるコメントが、それだけでエッセイとして完璧なぐらい素晴らしいんですよね。あれを現場で書くのはなかなか難しいんじゃないかと思いますが、どう作ったんでしょうか。
今野 「天が近い村」は伊那谷のある村の話です。ロケハンに行ったら急斜面の村でなかなか風景もいい。そこに婚姻のときの歌がひとつ残っていて、番組でその歌を流したいから歌える人を探してほしいと頼んだんです。花嫁はイメージショットで撮るから東京から連れてきますとだけ言って、ロケハンを終えて東京に帰りました。
それで本番のロケに行ってみたら、村中が一軒の家に集まって本格的な結婚式をやろうとしてるんですよ。一体何が起きているのか聞いたら、「お祝いの歌を撮るなら最初から結婚式を全部やってしまった方がいい。花嫁は東京から来る女の人がやるらしいから、うちの村役場の税務係をお婿さんにした」と(笑)。司会役や仲人までいて、村中の女の人が集まってきて料理を作るし、子供たちまで集まってワーワーとやっている。本当の結婚式だかやらせだか、まったくわからない状態になっていました。とにかくその様子を撮影して、素材をどうまとめるか伊丹さんと考えたんです。

是枝 やっぱり「ヤバいな」とは思ったんですよね。
今野 そう。何が起きたか説明しないで「村でちょうど結婚式があって、それを撮影することができました」という構成にしても、誰も疑わないんですよね。
是枝 ちょっと花嫁さんがきれいすぎるだけで(笑)。でも、僕も最初に見たときは気がつきませんでした。

講演会の様子

今野 そんな手もあるけど、これは嘘だといって扱わないのは、村で我々が体験した本当のことを伝えてないんじゃないか。じゃあ本当のこととは何かというと、「我々が撮影に行ったことによって、村の人が勝手に結婚式を始めてしまった」ということ。その事実を伝えることはできるんじゃないか、それをどう伝えるかと2人でいろいろ議論しました。僕はもともとドラマ畑の人間で、「ドキュメンタリーとは何か」ということは考えないで次々作っていたんです。でも、村人たちがやってくれた結婚式にぶち当たったときに、事実って何なんだということをはじめて考えなきゃいけなくなったんです。
是枝 僕もあれを見て、まさに「ドキュメンタリーとは何だろうか」というのをすごく考えさせられました。ただ、いま見ても、どっちなんだろうと途中でわからなくなるんです。結納を交わしているところを、伊丹さんが窓外から背伸びして何をやってるんだろうとちょっと覗くんですよね。もし完全に仕込んだ場面だったら中に座っていてもいいはずなのに。それで、見てる方は「あれ?」と思っちゃうんです。
今野 本当かもしれないと。
是枝 そう思ってしまう。その後、奥から出てきた花嫁さんがカメラを一瞬見るんですよ。それでまた、本物の結婚式かもしれないと思うんです。本当かもしれないと思わせたいという思惑が、今野さんや伊丹さん、カメラマンにはあるんですよね。
今野 撮ると決めたときには、迷わずに本物っぽく撮ってそれをどう扱うかは後で考えようということになりました。花嫁がちらっと見る場面は僕が花嫁役のモデルさんに指示して、それでできたんです。あと、花婿が花嫁を迎えに来るシーンがあって、「婿、婿」と子供たちがまわりで騒いでいるんですよ。あれもまったく本物に見えるでしょ。子供たちとしては撮影隊が来て、見たこともない花嫁や花婿がいるから、面白くてしょうがない。それで自然に大騒ぎしているわけです。そんな様子をそのまま撮れちゃうから、ますます本物っぽくなって、黙っていると偽物とはわからないような映像になったんです。
是枝 冒頭のナレーションが、それ以降の伊丹さんのエッセイ風のナレーションとは違う、非常に格調高い調子で始まりますよね。NHKの『新日本紀行』的な感じで、ある種揶揄じゃないんですけど。
今野 よく気がつきましたね。揶揄じゃないんだけど。
是枝 まあ、揶揄ですよね(笑)。旅番組の祭りの紹介には本来こういうナレーションが入るであろうというのを、わざと入れてますよね。
今野 「こんな奥深い村に暮らしている人たちは、どんなに律儀で正直な人であろうか」なんて言っているんですよ。ところがその人たちがみんなやらせをやる。伏線を張っておくわけです。
是枝 あの意図的なオープニングは誰が考えたんですか?
今野 編集で構成したのは僕ですが、それを見てナレーションを考えたのは伊丹さんです。あの調子を考えたのはナレーション録りの録音スタジオですよ。つまり録音スタジオもまた「現場」なんです。伊丹さんはそうした空気の掴まえ方が天才的なんです。他にも伏線はいっぱいあります。たとえば一番最初のインタビュー相手は猟師ですよね。村で一番高いところに住んでいて、イノシシをいっぱい獲る人。
是枝 煙草を吸いながらインタビューをしていて、今なら考えられないけど、かっこいいですよね。

講演会の様子

今野 その猟師さんがサービス精神旺盛で、「イノシシを撃つところを撮りましょうか」と言ってくれるんです。でも、イノシシ猟の季節がもう終わっているから、剥製を使ってもいいとか、豚にペンキを塗ってイノシシに仕立ててもいいとか言い始めて、僕たちは崖から剥製が転がり落ちるところを撮ったんです(笑)。ここも「この村の人たちは実にサービス精神が旺盛です」と言いたくて、全部伏線でやっているんですよ。それだけ伏線を張ってから結婚式をやる。結婚式もまたサービス精神だった、というオチになる。オチというか、それはもう「村人の真実」ですよ。
是枝 ふたつ気になった点があるんです。まずひとつは、今の旅番組だったら、ちゃんとイノシシ猟の時期に行くと思うんですよ。その方が面白くなるとは僕も思わないんですけど、もうやっていなかったといういいかげんさはたぶん許されなくて、「調べてから行けよ」となるはずなんです。ところが、行ったらやってませんでしたというのが許されていて、しかもそこが面白いところがすごいなと思いました。
それともうひとつ、1950年代に『白い山脈』(1957)というドキュメンタリー映画があって、剥製の熊を使って、鷹だか鷲だかが熊を掴んで空に飛んでいくという場面を撮ったそうなんです。僕も実際に映像を見たわけではなくて、ドキュメンタリー史などに出てくる話ですが、そういった先行作は話題に上っていましたか?

今野 僕はドラマから移ってきて1〜2年だから、当時はほとんどドキュメンタリーを見ていないんですよ。実際に自分が出会った現場からの問題意識で考えたことですね。たぶん伊丹さんもそうだと思います。
是枝 そうすると、やってもらったということを番組の中で明らかにしていくのは、倫理観から来た演出ではないと。
今野 「せっかく来てもらったけどイノシシ狩りは終わっているから、かわりに剥製を使って撃ってもいい」と彼が言ったことは事実なわけですよ。その通り撮って、「剥製でやってくれました」とナレーションを入れる。ドキュメンタリーの歴史に学んだのではなくて、そういう風に伝えることが、事実を伝えるということじゃないのかと考えたわけです。しかも、やってくれた人を傷つけないようにしないといけない。
是枝 伊丹さんのナレーションはそのやさしさがあるんですよね。たとえばつまらない話をしている人がいても、先に「この人の話はつまんないですよ」と言ってあげると、逆にすごく面白くなったりします。ギリギリのやり方だけど、きっと愛なんですよね。そのまま見せちゃったら「つまらない」と思われるだけのものを、逆に面白く感じさせるテクニック。やさしさとテクニックの両方があると思うんです。

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